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2009年01月24日
北方モンゴロイド~寒冷地適応の秘密!
こんにちは、saahです。
アメリカに渡った人々は、ほぼ北方モンゴロイドと言えそうですが、今日はその北方モンゴロイドについて少し調べてみました。
「モンゴロイド」の身体的特徴はリンク、リンクでも紹介されている通りですが、今日はどうして極寒の地に進出していったのか、なぜそれが可能だったのか、に焦点を当てて見てみました。
いつものように応援よろしくお願いします。
●モンゴロイド→北の寒冷地適応したのが北方モンゴロイド
生物とはみな異なる環境へのあくなき適応を進めるのであり、その意味で北方モンゴロイドとは極寒の地の環境に適応した人種だということである。
なぜ極寒の地に進出したのか
そのためにまず極寒の地であるシベリアとはどんなところなのかを知っておく必要がある。
●シベリアとはどんなところか
シベリアの大地は、針葉樹林帯(タイガ)と、湿地帯(ツンドラ)が永久凍土の表面を覆っている。
永久凍土とは、2年以上にわたって大地や地盤が凍結したままの地域で、夏に表面の一部が解けても、地下のどこかが凍っていれば永久凍土と呼ぶそうである。
よって夏には大地の氷も解けるから植物の生息もでき、ブルーベリー摘みなども出来るそうである。
上段<ツンドラ> 下段<タイガ>
シベリアにモンゴロイドが現れ始めたのはトボリスキー間氷期(約40~25万年前)にまで遡る可能性がある。
その後シベリアの気候は、
サマロフスキー氷期
└→シルチンスキー間氷期
└→タゾフスキー氷期
└→カザンツェフスキー間氷期
└→最終氷期(約8~1.1万年前)
と続く。
最終氷期はさらに
ズィリヤンスキー氷期(約8~5.5万年前)
└→カルギンスキー間氷期(5.5~2.5万年前)
└→サルタンスキー氷期(2.5~1.1万年前)
に区分される。
この最後のサルタンスキー氷期になってモンゴロイドは厳冬を克服し、北緯60度にまで進出を果たしたと考えられる。
●マンモスの餌場=冷涼ステップ
このサルタンスキー氷期には現在のシベリアには見られない植生である「冷涼ステップ」が広く分布していた。乾燥に強いイネ科、アカザ科、ヨモギ科などの草原で、「マンモスステップ」とも呼ばれ、この地域にマンモスも広く繁栄していた。
●石器の発達→狩猟能力の向上と防寒装備の発達
シベリアにおける石器は大きく7段階に分かれる。
<石器の種別> <主な分布> <時代>
第1期 礫器
第2期 握斧
第3期 ルバロワ尖頭器など=北緯55度以南、ズィリヤンスキー氷期
第4期 石刃技法出現 =北緯55度付近、カルギンスキー間氷期
第5期 葉形尖頭器(石刃技法発達)
第6期 小型化、分化・・・=マリタ遺跡、 サルタンスキー氷期
第7期 細石刃、楔形細石刃、
植刃尖頭器 =北緯60度以北、全シベリアへ
石器は始めは大きくずんぐりとした“イシコロ”から、だんだん薄く、小さくなってゆき、狩猟能力の向上をもたらす一方で、材料の小片化により石材産地との結合(制約)を弱め、より行動範囲を広げることが可能になった。
また針穴付きの縫い針も出現し、防寒具が普及していった。
このような技術革新と装備の発達により、極寒に適応することが可能になり、サルタンスキー氷期の時代に、この北方の地シベリアに広く繁殖していたマンモスを追って一気に拡散して行ったのが北方モンゴロイドだったのだろう。
投稿者 saah : 2009年01月24日 TweetList
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コメント
投稿者 バスべえ : 2009年2月24日 22:12
バスべえさん、ありがとうございます。
現在発掘されている遺跡の結果は一部の事実に過ぎないので、移動の時期についてはその「必然性」から追求してみたいと思います。
投稿者 saah : 2009年2月26日 21:35
先のマリタ遺跡のエントリーと共に、興味深く拝見させていただきました。
人類の適応力の高さを垣間見れて、面白かったです。
夏場はそこそこ豊かな環境だったとは思いますが、それにしても、寒いシベリアに移動し、そこで越冬までして暮すほど、当時の人々にとって、魅力的な何かがあったんでしょうね。そのシベリアの地を離れるほどの何があったのか?今後のエントリー楽しみにしてます。