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2014年05月15日
シリーズ「沖縄に在る“力”に学ぶ」~岡本太郎が見た沖縄の力」
みなさんこんにちは、新シリーズ「沖縄に在る“力”に学ぶ」の第1弾がはじまりました。
今回は「岡本太郎が見た沖縄の力」です。
岡本太郎は言わずと知れた芸術家ですが、沖縄に興味を持ちそこに日本人の根源的な力を感じていたようです。今回は岡本太郎が沖縄滞在を通して感じたものを執筆した「沖縄文化論」を紹介していきます。
その著書の中でも岡本氏が特に着目し、感動したものにこそ現代日本では失われてしまった“沖縄の力”が潜んでいるのではないか?考えます。人並みはずれた洞察力を持つ彼の心を動かしたものは一体どこだったのでしょう。楽しみです。
次の話は岡本氏が観戦していた闘牛場で、試合後に女が踊った踊りについて書かれている一説です。
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歓声のど真中に、女が飛び出したて来た。粗末な木綿のスカートにひっつめ髪、飼主らしい中年のおばさんだ。笑みあふれた顔、ひょこひょこと手を振り上げ、足を踏む。アッと思うような見事な踊りである。
踊っている、というよりは身体全体で喜んでいる。喜んでいるというよりは、やはり踊っているのだ。誇らかに、ほとんど挑むような姿で、牛に正対して迫ってはつんと離れ、軽やかに廻る。
それは私が沖縄で見たすべての踊りの中で、最も純粋で、直接的なエキスプレッションだった。
もちろん、少しも儀式的なものではない。本当に嬉しくてたまらない、みんなと喜び合う気持ちが自然とあふれ出てくる表現。ひどく率直な肉体のリズムであるということはすぐわかった。
だが、このような踊りの感動は、言い換えれば、生きるアカシの儀式かもしれない。人は生きるために、如何に耐えなければならないか。だからこそ、生きるよろこびが証しだてられなければならない。そのとき生活と踊りはまさに一体であり、ほとんど生きることの儀式といってよい様相をおびるのではないか。芸術の本質がまたそこに暗示されているのだろう。
中略
社会のルール、風習、モラルなんて、こうるさいもんだ。その正しい、また正しくない、さまざまの理由、圧力が人を抑圧している。だが忘れられた自由感、肉体と精神の渾然と溶け合う初源的感動は、肉体の底に深く生き、うなずいている。それは奪回させなければならない。このような矛盾にこそ舞踏芸術の理由があるのではないか。
歓喜が全身をつき動かす。人は踊る。よろこびの極みが踊りであり、そのエネルギーの放出はまた強烈な歓喜である。
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岡本氏は沖縄の伝統的な踊りではなく、闘牛場で全身で喜びを表現する女の踊りが最も感動したと述べています。
それはただただ嬉しくてたまらない、供のようにそのエネルギーを放出したくて、表したくてしょうがないといった、とても素直で無邪気な踊りでした。
芸術というと、時間をかけて洗練され様式化されたものを指すように思いますが、岡本氏が感動したものは全くその逆で、人が生きていく中で自然に起こる、ありのまま無邪気に発散されたエネルギーでした。
次は歌について書かれた一説を紹介します。
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ありったけの人数を田圃にずらりと並べ、指揮者が真ん中で指揮をとる。それを「イゾウ(気あい)」といって、その音声は厳粛を極めた。明治末年頃までは実際にそうやって仕事をしていたそうだ。
イゾウがはじまれば列から離れることは許されない。少しでも遅れると、指揮者にいやというほどひっぱたかれる。昔は庶民の女は越中褌のような黒い下帯をしめていた。それがずり落ちても、前にはさむひまさえない。褌を後にひきずりながら、夢中で進んで行ったということだ。
こういう形で掛け声をかけると、黙ってただ働くより確実に、三割ははかどるという。これはだから芸術とか音楽なんてものじゃない。美学ではないのだ。生産のリズムであって、それに乗らなければ仕事は進まない。
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現代では生活には直接関係なく娯楽として認識されている歌や踊りですが、沖縄では歌や踊りが生産に大きく関係していました。
明治末まで、沖縄は重い人頭税の重いノルマがかけられ、それを達成するには一人一人ばらばらではない徹底した共同作業が行われていたそうです。そして歌に合わせて田植、草とり、刈入れ、米つきを行い生産力を上げていったそうです。
それは人間が最も効率的に活動するリズムを追求し、歌に合わせてみなで動く事で生産力をあげていく、まさに生き抜く為に必要な歌と踊りであったともいえます。
最後に祈りについて書かれた一説を紹介します。
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久高島では三十歳から七十歳までの女性はすべて神事に参加しなければならない。そして十二年に一回、午の年に、新しいナンチュ(神人)を資格づける厳粛な儀式が行われる。イザイホーの神事だ。
儀式は三日間にわたる。神アシャギはクパで葺いた小屋を作って、三十から四十一までの女は厳重なおこもりをする。さらにミソギで身を浄める。二日目のたそがれ、裸足で、黒々とした長い髪をふりみだした白装束の女たちが何十人も、「エーファイ!」と掛声をかけながら、疾走して、順々に「七つ橋」を渡るのだ。
むきだしに粗野、だからこそ、凄い。ドラマティックだ。それは原始の神秘である。
橋渡りは祭りの最高潮で、女たちは極度に緊張して真青になるそうだ。これによって、人間の女から、ナンチュに変身する。つまりこれは神聖なイニシエーションの儀式なのだ。
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久高島の神事=祈り は必ず女のみ、集団で行われるといいます。
島の一画で女達だけで三日間歌い踊り続けます。そしてそれは緊張して青白くなるほど、ただの娯楽ではない事が伺えます。久高島周辺は男達が漁を行い、生計をたてますが、非常に海流が複雑で難しい漁で知られています。但し、遭難事故の記録はありません。それはナンチュによる祈りによるものだと言われています。
歌・踊り・祈りは彼女らにとっては一体で、女として集団を守る事そのものだったと言えます。
「沖縄文化論」において、岡本太郎は一般的には、日本らしさと言われる「もののあはれ」や「わびさび」と言う考え方、または桂離宮、東大寺、金閣銀閣などの日本文化の代表とされる建物を、「生命力に乏しく何の魅力も感じない」とまで言い切って捨てました。
それに対して、一見 文化ともとれないような素朴な、限りなく日常的な歌・踊り・祈りにひどく心を動かされています。
そこにあるのは、日本が高度な文明を築いていくにつれて失われていった「人間本来の生命力」だったのではないでしょうか?
歌、踊り、祈り、これら3の儀式を通じてそれらを伝えたが、考えればこれらは人類が文明や文化を作り出す以前からあった行動様式であり、以降も変わらず私たちの生活に密着してきました。しかし、太郎氏が発見したような生活と一体化した踊りや生産のリズムを作り出す歌や、精霊が降りてきて語る祈りはとうに私たちの生活の中から離れていっています。
そして精霊の言葉を聴くために女性たちが繰り返し踊り、謳い、祈るその行為の中に最初に提示した「無邪気」というキーワードがあるように思います。
文明社会や共同体を超えた組織の中で生きる私たちは秩序、規範、効率に慣らされてきました。そして少しでも良い生活、良い社会、良い人になろうとします。
しかしこの沖縄の事例はそれらに全く当てはまらない。むしろ目的は全く別のところにあるにも関わらず、明らかに本土の私たちより生きる力に満ちています。
太郎氏が言いたかったのはそういう事ではないか?皆で喜びを表し合い、共感し、体を突き動かします。まったく原初的な行動様式をしっかりと集団の中に組み込んでいるこの土地に大きな可能性を感じたのでしょう。そしてこれは私たち日本人に欠けている運動性であり、忘れてきた原初体験です。これからの共認の時代、理論や規範と両輪となって必要なのは、人類の本源時代にあったこれらの生きる力を意識的にでも再生させることかもしれません。
それは踊りや歌や祈りという行動様式を呼び戻す事ではない。そういう事に大きな可能性があると、このシリーズを通して発見できればよいと思います。
投稿者 tanog : 2014年05月15日 TweetList
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