2021年12月9日
2021年12月09日
縄文再考~自然への注視・一体化で定住を可能にし、1万年以上もの時代を築いた~
これまであらゆる切り口で縄文再考してきました。その中でも 「争いの跡がない。贈与としての土器。祈りの土偶。」 などの追求で確かになりつつあるのは縄文時代の”共同体性”。定住を始め、集落を築き、集団で生きる中でも争いが起きない、といった見解から、間違いなく共同体性は存在します。
共同体をユートピアと位置付ける学者が多いですが、縄文時代の共同体性は本当にそうでしょうか?可能性、真似ポイントを探る上で縄文時代の集落を追求するのは何か手がかりがありそうです。
そこで定住から集落間のつながりを追求して解明していきたいと思います。
今回は定住について、深掘っていきたいと思います。
■おさらい
まずはおさらいです。縄文時代の特徴は“定住したこと”挙げられ、定住の中で土器や土偶などの縄文文化を築いていきますが、農耕はありません。
一般的には農耕の開始をもって定住と言いますし、自然との一体感ではなく、自然を大幅に加工して高い穀物を集中的に生産することを目的とします。
しかし、縄文の定住は自然を壊すや制御するなど大幅な加工はしません。
ではなぜか?そもそもなぜ定住したのか?
■定住が始まった理由
一番大きな影響は気候の温暖化です。
石器時代は最終氷期に当たり、植物はあまり繁殖していないため、採集には限界があったと考えられます。移動しながら食糧を探す(移動的な狩猟採集民族)しか方法がなく、一か所に定住するのはかえって危険だったわけです。
気候は世界的に温暖化していき、植物の成長が盛んになっていきます。つまり縄文時代は移動しなくても生活できるようになった()と考えられます。
このことは過去のるいネットにも追求があります。(縄文時代の日本の気候・環境 (整理) – るいネット (rui.jp))
■定住することと自然との共生
定住するためには当然”場所”が必要になります。そうなれば自然を解体し整地したり、農耕を始めて、より安定を求めるでしょう。しかし、縄文人は自然を解体しなかったのです。
ここにも気候の変化が大きく影響しています。
農耕なしの「縄文的定住スタイル」が社会持続の秘訣?縄文時代の食事・仕事・暮らし方を解説 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン (intojapanwaraku.com)
>およそ1万年〜1万2000年前、最後の氷河期が終わると、日本列島は現在のように雨の多い温暖湿潤な気候となり、春夏秋冬がはっきりと訪れるようになります。針葉樹ばかりだった大地は常緑樹や落葉樹の美しい森に覆われ、それに伴って動物たちも小型化していきました。現在の私達にもお馴染みのイノシシや鹿が、山野を駆け回っていたことでしょう。日本列島の多種多様な生態系、世界に誇る豊かな自然環境は、縄文時代に作られたのです。<
春には山菜を採り、夏には魚を獲り、秋には木の実を拾い、冬には脂肪をたっぷり蓄えた獣の狩猟をするといった生活になっていきます。これは上記の定住する理由でもありますし、自然を破壊しなかった理由でもあります。
自然と共に生活することを選んだのです。
■人間社会持続のために自然の声をよく聴き、自然と共生した縄文人
温暖化することで春夏秋冬がはっきり訪れ、世界に誇る豊かな自然環境が構築されるなど、これまでに自然外圧の変化に適応するように生活様式を変化(移動的→定住的)させてきた縄文人にとって、自然外圧を捨象するということはあり得なかった、制御・支配するなどの思考にも至らなかったのです。「定住的狩猟採集民族」世界を見ても類を見ません。
彼ら(彼女ら)は自然を注視・自然の声をよく聞いていたのです。
目先的な目的で、食糧を大量に採集することが自然破壊につながることも理解し、持続可能な自然環境を維持していったと思われます。
あくまで自然に生かされている。
だからこそ「人間社会を自然に合わせていく」スタイルをとったのです。
それが縄文時代が1万年以上も続いた秘訣であり、自然と一体化することが勝ち筋だったのです。
投稿者 matudai : 2021年12月09日 Tweet