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2009年08月21日

テンプル騎士団はやがてフリーメイソンに・・・

こんにちわちわわです。
カッピカッピさんに引き続き、テンプル騎士団についてお送りします。
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●オカルト化したテンプル騎士団
現在、テンプル騎士団の名前は、怪しげかつオカルトチックに語られています。映画でも大ヒットした「ダ・ビンチ・コード」などがその最たる例でしょうが、これはやはりフィリップ4世の不当な弾圧によるところが大きいと思われます。
彼は騎士団の資産を乗っ取るため、騎士団が悪魔崇拝や黒魔術を行なっていたとのウワサをばら撒いてその地位を失墜させました。無論それは真っ赤なウソなのですが、19世紀に歴史学者らによって研究されるまで、騎士団の汚名が晴らされることはありませんでした。
また、俗に言う「ジャック・ド・モレーの呪い」も、騎士団の怪しいウワサを世に広めさせました。
ジャック・ド・モレーはテンプル騎士団の最後の総長だった人物です。フィリップ4世が強要する異端審問に際しては、過酷な拷問にも耐え、最後まで異端崇拝を全面的に否認していたといわれています。
1314年モレーはセーヌ河の中洲で十字架に架けられて生きたまま火あぶりに処せらました。そのとき、彼は「私は国王と教皇を許さない。1年以内に、必ずや神の法廷に引きずり出す」と呪いの言葉を吐き、その言葉どおり、、ひと月後にはクレメンス5世が、8ヶ月後にはフィリップ4世が46歳の若さで急死しています。
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●秘密主義で結束を強める。
テンプル騎士団内には確かに秘密めいた儀式や教義はあったでしょうが、それは反キリスト的、冒涜的なものではありませんでした。なぜなら、もし悪魔崇拝や異端信仰に繋がるものがあったなら、フィリップ4世の関与しないフランス以外の国でも異端者として処刑されていたはずだからです。
むしろ、いたって普通の単純な儀式を「部外者に口外してはいけない」「決められた手順で行なわなければならない」と取り決めることによって、テンプル騎士団を神格化し、入団する騎士たちに、「神に選ばれた騎士」という帰属意識を持たせたのだろうと思われます。
秘密を共有することがメンバー間の結びつきに繋がり、やがてはそれがヨーロッパ全体に拡がる広大で強固なネットワークに発展していったのです。
●スコットランドへ逃れた騎士たち
フィリップ4世とクレメンス5世の不当な弾圧によって壊滅状態に陥ったフランスのテンプル騎士団ですが、その全てが処刑されていたわけではありませんでした。教会の禁止令が出されたとはいえ、フランス以外ではまだかつての騎士仲間が残っていたのです。1307年10月、一部のフランス系テンプル騎士団は、船でドーバー海峡を渡り、イングランドの北にあるスコットランドへと逃れました。
スコットランドへ無事上陸した彼らは、地元のテンプル騎士団と合流します。テンプル騎士団の支部はヨーロッパ中に広がっており、どこにでも仲間がいたのです。
フランス国王の追跡の手から逃れてきた彼らは、その地に潜みながら力を温存することにしました。
当時のスコットランドは、イングランドとの紛争の真只中。スコットランドのテンプル騎士団もその戦いに参加しており、フランス系テンプル騎士団も参加は、スコットランド王のロバート1世にとっては願ってもない助力でした。実戦経験豊富なテンプル騎士団は、スコットランド民と比べてはるかに強力な戦力で、貞潔・清貧を遵守しているので余計なトラブルを起こす心配も少ないし、資金の管理能力もあります。
こうしてフランス系テンプル騎士団とスコットランド王の利害は一致し、フランス系騎士たちの支援を得たスコットランド軍は、イングランド軍を打ち破り独立の道を歩むことになります。
●フリーメイソンにかくまわれた騎士団
スコットランドに渡ったフランス系テンプル騎士団は、どのように現地に溶け込んでいったのでしょうか。そこで登場するのがフリーメイソンです。
メイソンには石工たちが技術を交流・伝承する場としての「実務的メイソン」ロッジと知識人たちが政治思想・社会思想の交流の場としての「思索的メイソン」ロッジがあります。
恐らく、テンプル騎士団は、カモフラージュとして石工たちの実務的メイソンロッジを装ったと考えられます。実務的メイソンのロッジは多くの人が集まるところですから、多少の騎士団員が増えたところで目立つことはありませんし、テンプル騎士団と同様に、一定の秘密主義がありますから、騎士団の儀式などを執り行うのにも都合がいいというわけです。
●メイソンと騎士団の共通点
テンプル騎士団が隠れ蓑として使用したフリーメイソンですが、逆にメイソンのメンバーがテンプル騎士団へと入団したのではないかと思われるほど、この二つの団体は似通った点があります。
たとえば、メイソン内での地位を表す位階に、スコティッシュ・ライトの17位階、29位階というものがありますが、これらは明らかにテンプル騎士団にまつわる物語を背景に持っているものです。また、30位階では、テンプル騎士団の英雄的行為を賞賛し、最後の総長となったジャック・ド・モレーを称えています。
さらに、テンプル騎士団は、自分達の手で教会を建設する特権を教皇から得ていました。騎士団員たち自身が建設労働者となって、各地に教会を建てる権利を得ていたのです。実際に彼ら自身の手で建てられた教会や礼拝堂も少なくなく、騎士達が優れた石工だったか、あるいは、優れた石工が騎士の中に隠れていたのではないかと思われます。
このように、テンプル騎士団とフリーメイソンが結合し、莫大な財産と屈強な組織は後世に引き継がれ、現在のヨーロッパ貴族の一部を形成しているものと思われます。

投稿者 tiwawa : 2009年08月21日 List  

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コメント

 大きい実現可能性を秘めている”充足志向”と”安定志向”。しかし、それが、マスコミによって垂れ流される旧観念で蓋をされ、十分に発揮されていないとは、正に宝の持ち腐れですね。
>その可能性を実現させるためには、それに気づいた人たちから可能性を示す事実を提示し、広めていくことが必要なんですね
 確かに!この大きな実現可能性を活かす(=実現へと導く)ためにも、顕在化した充足志向を実現させる、充足の場を増やしていく必要がありそうですね。

投稿者 カッピカピ : 2009年10月10日 21:12

カッピカピさんコメントありがとうございます^^
>マスコミによって垂れ流される旧観念で蓋をされ、十分に発揮されていないとは、正に宝の持ち腐れですね。
そうですよね。
可能性は開かれたんだから、気づいた人から発信!ですね☆

投稿者 ぴんぐー : 2009年10月11日 01:22

人類(先進国)において生存圧力は消滅しましたが“問題=課題”は厳然として存在します。これまでは、それを闘争や変革の課題としてとらえていました。でも採集部族に見習えば、現代の課題の解決=闘争は方法論やアプローチのしかたが間違っているのだろうと思います。
現在の同類闘争を勝ち抜く力は充足発の共認形成力に他なりません。カネやコネではうまくいかない。いかに相手と充足関係を構築できるかです。充足するためにはスッキリするまでの事実追求の過程があり、それは生半可では許されません。
経済破局を乗り越えるのも、その後の社会をつくっていくのも、やはり充足発の共認形成にかかっています。現代忘れてならないのは、この充足発の共認形成が実現基盤になることだと思います。

投稿者 くまな : 2009年10月11日 04:44

まず変革ありきではなく、現実を正確に捉えた上で、こうしたらもっとよくなるという発信をし、現実に変えられるところから改善してゆくという積み重ねが必要であって、その方向が充足・安定に乗っかっているかが、判断の分かれ目になってくるのだと思います。

投稿者 猫 : 2009年10月11日 17:22

婚姻様式について考え直してみると、充足・安定志向から女性が羅針盤になり、女の充足が男の活力源になるのなら、女性に充足存在としてのヒエラルキーが生まれ、首雌集中婚(つまり一妻多夫制)になるのではないか?という疑問が生じました。
ただ、こうなると、首雌以外の女性を充足存在として認めない男性が悪いということになる上、もともと性的存在だった女性の性的自我は恐ろしいことになるため、可能性は薄いでしょうね(-。-)
あくまで、男女にしめる女性の割合が少ないときに可能な特異な婚姻様式であるようだし。

投稿者 さっちょん : 2009年10月13日 23:36

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