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2009年01月02日

ユダヤ人全滅思想の出所。

こんにちわちわわです。
ユダヤ民族は迫害と流浪の歴史を繰り返してきました。何故ユダヤ民族は他民族から嫌われ迫害されつづけたのでしょうか?
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以下は紀元前500年ころ、ペルシャ帝国時代に、重臣ハマンが帝国全ての州に送った書簡の中身です。
 ある反逆的民が、世界のすべての民の中にまじっており、その民の律法は、ほかのすべての民の律法に相反している。・・・この民だけが、全人類と絶えず悶着を起こし、法にそむいて生き、秩序ある国の安定に逆らい・・・(私は)あなたたちにこの勅命を出す。指定したもの(ユダヤの民)はみな、女も子供も例外無しに、あわれみも容赦もなく・・・徹底的に全滅され、取り除かれるようにと定める。それは、今までの、また現在のこの敵どもを一日で、力尽くで冥土に投げ落とし、今からのち、国の安定と平和を(王が)保障するためである。(旧約聖書「エステルの書三章十三)
このハマンのユダヤ人絶滅思想はユダヤ人モルデカイのヤハウェの神に対する嘆願をペルシャ王がうけいれたため、ユダヤの民は救われることになるのだが、ローマ帝国に移行しても、ユダヤ民族は幾度となく蜂起や氾濫を繰り返していきます。
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 ユダヤ民族にとって信仰と掟の遵守は絶対である。紀元前166年マカベ戦争でシリア王軍に攻められた際、安息日の掟を汚すことを拒んで、攻撃に応戦もせず、石も投げず、身を守ることもしないで、妻や子供達とともに殺された者の数は数千にものぼったとされる。
 また、割礼(男性の性器に消えることの無い傷をつけるという儀礼)は古代ローマやギリシャからすると、男を性的不能にする去勢行為に通じる野蛮でいまわしい習慣と映った。
一方ユダヤ教男子にとって、割礼はヤハウェの神と消えることのない契約の絆である。その欠かすことのできない割礼の禁止は、ユダヤの民にとって致命傷であり、絶対に容認できるものでなかった。
 ユダヤ民族の蜂起や氾濫には、政治、経済、社会的要因もからんではいたが、しかし、どちらかといえば、彼ら宗教的民族共同体の存在が危機にさらされた時に発生している。しかも、そうした際の抵抗や抗戦は、常に命がけのものであった。
 例えば、ユダヤ民族にとって欠かすことのできない割礼という宗教的儀礼が、ギリシャ人やローマ人からは特異な因習として忌み嫌われ、嘲笑されても、それに耐えてゆくことが出来た。しかし、割礼が禁止され、それが弾圧や迫害の根拠となった時、彼らは立ち上がったのである。しかもその抵抗、抗戦は決死の覚悟のもとに行われ、多くの殉教者がつきものであった。
 しかし、反面、ユダヤ民族は政治的な妥協においても決して無能ではなかった。
 強大なローマ支配の庇護下に生きるということは、ユダヤ人にとって無視することが出来ない関心事であり、彼らは自分達の宗教的民族共同体としての存在が補償されている限りにおいて、支配者に追従し、依存していたのである。
 古代社会において、ユダヤ民族は独自の選民意識、民族固有の宗教、戒律、儀式、慣習などの厳守により、ギリシャ、ローマ人や他の諸民族から自己を明確に区分し、結束を固めて、他に同化しない生活をしていた。そのためしばしば非難の的になったし、自分達の神以外一切の神々を拒絶したため、ヘレニスト達から「無神論者」とさえ誹謗されたこともあった。一時的には皆殺しや根絶の恐怖にもさらされ、実際の迫害にもでくわした。
 しかし、ユダヤ民族の存在そのものを否定するといった近代のアンティチズムのような、反ユダヤ思想との対決は、古代ローマ社会においては無く、古代ローマ帝国のユダヤ人生かさず殺さず政策の下で共存の路線を貫いた。
 ユダヤ人絶滅思想が本格化するのはキリスト教誕生後、新約聖書でキリスト殺しの下手人にでっち上げられた以降となる。

投稿者 tiwawa : 2009年01月02日 List  

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