- 縄文と古代文明を探求しよう! - http://web.joumon.jp.net/blog -

テンプル騎士団はやがてフリーメイソンに・・・

こんにちわちわわです。
カッピカッピさんに引き続き、テンプル騎士団についてお送りします。
Templarsign.jpg
●オカルト化したテンプル騎士団
現在、テンプル騎士団の名前は、怪しげかつオカルトチックに語られています。映画でも大ヒットした「ダ・ビンチ・コード」などがその最たる例でしょうが、これはやはりフィリップ4世の不当な弾圧によるところが大きいと思われます。
彼は騎士団の資産を乗っ取るため、騎士団が悪魔崇拝や黒魔術を行なっていたとのウワサをばら撒いてその地位を失墜させました。無論それは真っ赤なウソなのですが、19世紀に歴史学者らによって研究されるまで、騎士団の汚名が晴らされることはありませんでした。
また、俗に言う「ジャック・ド・モレーの呪い」も、騎士団の怪しいウワサを世に広めさせました。
ジャック・ド・モレーはテンプル騎士団の最後の総長だった人物です。フィリップ4世が強要する異端審問に際しては、過酷な拷問にも耐え、最後まで異端崇拝を全面的に否認していたといわれています。
1314年モレーはセーヌ河の中洲で十字架に架けられて生きたまま火あぶりに処せらました。そのとき、彼は「私は国王と教皇を許さない。1年以内に、必ずや神の法廷に引きずり出す」と呪いの言葉を吐き、その言葉どおり、、ひと月後にはクレメンス5世が、8ヶ月後にはフィリップ4世が46歳の若さで急死しています。
テンプル騎士団あやしいと思った方↓↓ぽちっと!
Blog Ranking [1]にほんブログ村 歴史ブログへ [2]


●秘密主義で結束を強める。
テンプル騎士団内には確かに秘密めいた儀式や教義はあったでしょうが、それは反キリスト的、冒涜的なものではありませんでした。なぜなら、もし悪魔崇拝や異端信仰に繋がるものがあったなら、フィリップ4世の関与しないフランス以外の国でも異端者として処刑されていたはずだからです。
むしろ、いたって普通の単純な儀式を「部外者に口外してはいけない」「決められた手順で行なわなければならない」と取り決めることによって、テンプル騎士団を神格化し、入団する騎士たちに、「神に選ばれた騎士」という帰属意識を持たせたのだろうと思われます。
秘密を共有することがメンバー間の結びつきに繋がり、やがてはそれがヨーロッパ全体に拡がる広大で強固なネットワークに発展していったのです。
●スコットランドへ逃れた騎士たち
フィリップ4世とクレメンス5世の不当な弾圧によって壊滅状態に陥ったフランスのテンプル騎士団ですが、その全てが処刑されていたわけではありませんでした。教会の禁止令が出されたとはいえ、フランス以外ではまだかつての騎士仲間が残っていたのです。1307年10月、一部のフランス系テンプル騎士団は、船でドーバー海峡を渡り、イングランドの北にあるスコットランドへと逃れました。
スコットランドへ無事上陸した彼らは、地元のテンプル騎士団と合流します。テンプル騎士団の支部はヨーロッパ中に広がっており、どこにでも仲間がいたのです。
フランス国王の追跡の手から逃れてきた彼らは、その地に潜みながら力を温存することにしました。
当時のスコットランドは、イングランドとの紛争の真只中。スコットランドのテンプル騎士団もその戦いに参加しており、フランス系テンプル騎士団も参加は、スコットランド王のロバート1世にとっては願ってもない助力でした。実戦経験豊富なテンプル騎士団は、スコットランド民と比べてはるかに強力な戦力で、貞潔・清貧を遵守しているので余計なトラブルを起こす心配も少ないし、資金の管理能力もあります。
こうしてフランス系テンプル騎士団とスコットランド王の利害は一致し、フランス系騎士たちの支援を得たスコットランド軍は、イングランド軍を打ち破り独立の道を歩むことになります。
●フリーメイソンにかくまわれた騎士団
スコットランドに渡ったフランス系テンプル騎士団は、どのように現地に溶け込んでいったのでしょうか。そこで登場するのがフリーメイソンです。
メイソンには石工たちが技術を交流・伝承する場としての「実務的メイソン」ロッジと知識人たちが政治思想・社会思想の交流の場としての「思索的メイソン」ロッジがあります。
恐らく、テンプル騎士団は、カモフラージュとして石工たちの実務的メイソンロッジを装ったと考えられます。実務的メイソンのロッジは多くの人が集まるところですから、多少の騎士団員が増えたところで目立つことはありませんし、テンプル騎士団と同様に、一定の秘密主義がありますから、騎士団の儀式などを執り行うのにも都合がいいというわけです。
●メイソンと騎士団の共通点
テンプル騎士団が隠れ蓑として使用したフリーメイソンですが、逆にメイソンのメンバーがテンプル騎士団へと入団したのではないかと思われるほど、この二つの団体は似通った点があります。
たとえば、メイソン内での地位を表す位階に、スコティッシュ・ライトの17位階、29位階というものがありますが、これらは明らかにテンプル騎士団にまつわる物語を背景に持っているものです。また、30位階では、テンプル騎士団の英雄的行為を賞賛し、最後の総長となったジャック・ド・モレーを称えています。
さらに、テンプル騎士団は、自分達の手で教会を建設する特権を教皇から得ていました。騎士団員たち自身が建設労働者となって、各地に教会を建てる権利を得ていたのです。実際に彼ら自身の手で建てられた教会や礼拝堂も少なくなく、騎士達が優れた石工だったか、あるいは、優れた石工が騎士の中に隠れていたのではないかと思われます。
このように、テンプル騎士団とフリーメイソンが結合し、莫大な財産と屈強な組織は後世に引き継がれ、現在のヨーロッパ貴族の一部を形成しているものと思われます。

[3] [4] [5]