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2011年01月08日

モンゴロイドの歴史1~モンゴロイドの誕生と北方進出

10年末のなんでや劇場で扱われた「モンゴロイドの歴史」について、既にるいネットにその骨子が投稿されていますが、地図等で補足していきます。
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http://luna555.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html より頂きました。

C、D、F、K、O はモンゴロイドであると考えられる。

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■アフリカからユーラシア大陸へ
19.5万年前、アフリカ東部(現エチオピア)にて、最古の現生人類が誕生した(単一起源説)。以後、アフリカ大陸で人口を増やしていった現生人類の一部は、12万年前の間氷期(温暖期、+2℃)を初めとして、それ以降何度も(数十回?)アフリカ大陸からユーラシア大陸へと渡ってきたと考えられる。
アフリカからユーラシア大陸へは、温暖湿潤期にはシナイ半島~東地中海沿岸のルート、寒冷乾燥期にはアラビア半島南東部沿岸のルートを通ってきたと考えられている。
人類は遺伝子の多様性が他動物に比べて極端に低いため、ごく一部を除いて絶滅したと考えるしかない。その一つが、7.4万年前のトバ火山(スマトラ島)の噴火による寒冷化(噴火後2~3年で15℃低下)である。この時、地中海沿岸やアフリカに南下した旧人と現生人類、及び熱帯地方で生き延びた原人、旧人、現生人類を除いて、北方に拡散していた現生人類は絶滅した。
※アフリカに旧人が生き残っていない理由は、ユーラシア大陸に渡って新しい免疫機能獲得した現生人類に淘汰されたからだと考えられる(免疫淘汰説

人類の拡散地図
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http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012_2Ysennsyokutai_no_bunnpu_to_keiro.html よりお借りしました。

諸説あるが、少なくとも新人の出アフリカは2回はあったする説を示した地図。4万5千年程前、エジプトのシナイ半島からレバントへ抜け、ユーラシアへ広がったとするルートはオーソドックスなシナリオだが、ケンブリッジ大学のラーはそれ以前にアラビア半島南部を渡った可能性を提起している。その後、スンダランドから人類が波状的に北方へ拡散している事実から考えても、出アフリカがたった1回限りであったとは考えにくい。

■モンゴロイドの誕生→スンダ・モンゴロイドの誕生
アフリカを出て、東方へ向かった人種はモンゴロイドと呼ばれる(最も遡れば7万年前)。
約7万年前から最終氷期(ヴュルム氷期)に入ったため、寒冷化→極地の氷河発達によって海水面が下がり、東南アジアにスンダランドと呼ばれる大陸が出現していた(マレーシア、インドネシア、フィリピンなどが繋がっていた)。
東方へ向かった原モンゴロイドは、インド亜大陸を通って、5.0万年前までにはスンダランドに到達。彼らはスンダランドの気候に適応し、形質が固まっていく。【スンダ・モンゴロイド】 (東南アジアのニア洞窟に5.0万年と推定される現生人類の頭蓋)一部は、日本列島に漂着した。
同様に、オーストラリアに移動し適応したモンゴロイド【オーストラロイド】や、中国南部に移動し適応したモンゴロイド【シナ・モンゴロイド】も存在した。

スンダランドの地図
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http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/09/000314.html より

スンダランドはモンゴロイドの原郷であり、その後のモンゴロイドの拡散をみると今はなき豊かな大陸=スンダランドはアフリカにつぐ、人類第2の故郷といってもいいだろう。

■原モンゴロイドの北上
バイカル湖周辺は、12万年前の間氷期(温暖期、+2℃)には針葉樹林が広がっていたが、9万年前以降寒冷化していく気候の中で、針葉樹が縮小し、ステップ草原が広がっていた。ユーラシア北部から北アメリカ北部にはステップ草原が広がっており、マンモスゾウの他、バイソン、トナカイなど多くの大型哺乳類が棲んでいた。
5.1万年前~4.6万年前の小間氷期は、南アジアも温暖・湿潤だったと言われており、原モンゴロイドはインダス川流域に留まっていたと考えられる。
しかし、4.6万年前以降の寒冷・乾燥化→砂漠化に直面し、より湿潤な土地を目指して北東へ向かって移動、パミール高原→タリム盆地に到達した。彼らは、水を確保するために川沿いを移動し、湖岸の洞窟に居住していたと考えられる。
その後、4万年前頃?の温暖期に、バルハシ湖を経由してバイカル湖まで北上したと考えられる。【北方モンゴロイド】(アルタイ山脈北部~オビ川・エニセイ川最上流域では、5万年前~4万年前の石器遺跡が見つかっている。)

■3.3万年前からの寒冷化・乾燥化
3.3万年前ごろを境に世界的な寒冷化・乾燥化が進む。この影響で、バイカル湖の北方モンゴロイドの主力は、パミール高原~タリム盆地に南下し、インダス川周辺から北上してきた原モンゴロイドと混血した。【中央アジア・モンゴロイド=中亜モンゴロイド】

また、寒冷化→海面低下の結果、日本列島と大陸は陸続き(大陸~樺太~北海道~本州)になり、同時に対馬海峡が狭まった為に日本海への暖流の流入が止まった。そして、水蒸気減→雲減→日本海側が少雨化・乾燥化し、日本列島が草原化してゆく。この時期に画期的な石刃技法を獲得した北方モンゴロイドは、大型哺乳類を追って樺太を経由して日本列島にも流入してきた。
途中で分岐した部族が、アメリカ大陸まで移動した可能性も。
この時期のシベリアは、一旦無人の地になった。

■2.7万年前からの温暖化
2.7万年前からの温暖化時には、パミール高原~タリム盆地の中亜モンゴロイドが北東に向かい、2.5万年前~2.3万年前にはユーラシア大陸北部・バイカル湖付近に到達。狩猟生産(主にトナカイ)を営んでいた(2.3万年前のマリタ遺跡から大量のトナカイの骨)。
(※2.6万年前から2.2万年前のものと推測される遺跡が、チベット高原南部のラサにもある。)

■2.1万年~1.8万年前の最終氷期極寒期(-10℃)
2.1万年~1.8万年前からは、最終氷期極寒期(ヴュルム氷期最盛期、LGM)に入っていく。平均気温は地球全体で現在よりも5度低く、高緯度地域は12~14度も低くなった。極寒期の影響で、バイカル湖の中亜モンゴロイドの主力は、再びパミール高原に南下。
他にも、漁業資源を頼りに川沿いを移動し、より暖かい太平洋沿岸に向かった部族もいた。その後南下し、中国(シナ・モンゴロイドと混血)や日本列島(北方モンゴロイドと混血)へ移動。
この時期のシベリアは、再び無人の地に

シベリアの古環境地図
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約3万5千年前のオープン・ウッドランド
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約2万年前のシベリアで縮小したオープン・ウッドランドは南下した。
上記はhttp://kodaisi.gozaru.jp/kitanokodaisiB/kitanokodaisi/manmosunoato/manmosu.html より
シベリアには豊な草原が広がっていた。人類はこの動物たちを追って北上したのだろう。しかし、最寒冷期には縮小し、日本そしてアメリカへの移動圧力を形成した。

■1.8万年~、1.5万年前~、1.35万年前~と段階的に温暖化(-2℃~+3℃)
1.8万年前の最終氷期極寒期終了後、1.5万年前から北半球が急速に温暖化する(ベーリング期)。特に1.35万年前の高温化期(アレレード期)には、大きく人口が増加したと言われる。
○中亜モンゴロイド
最終氷期極寒期が終了した1.8万年前以降の温暖化によって、パミール高原の中亜モンゴロイドが西回りで、中国のシナ・モンゴ×中亜モンゴが東回りで北上し、バイカル湖に到達。
彼らは、寒冷・乾燥気候の下で、体温を維持するために、ずんぐりむっくり体型になったと考えられる。(4万年前、2.7万年前、1.8万年前とバイカル湖に移動してくるたびに、北方への適応を塗り重ねてきた?)

しかし、1.5万年前からの高温期にバイカル湖周辺のステップ草原が縮小していく(1万年前には、現在とほぼ同じ植生の針葉樹林に)。大型哺乳類がオホーツク海沿岸に残存するステップ草原を目指して移動した為、バイカル湖の一部の中亜モンゴロイドは大型哺乳類を追って移動した(森林地帯に適応して、中国に南下した者もいたと考えられる)。
この時期は、氷河が後退しつつもベーリング海峡が陸地化(ステップ草原化)していた時期であったため、大型哺乳類と共にアメリカ大陸に渡った中亜モンゴロイドもいた。そして、先に居住していた北方モンゴロイドと混血していく。【原アメリカ人】 1.35万年前にはチリ南部に到達。span>

ベーリンジア地図
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http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history02.html より

2万~1万8000年前まで、ユーラシア大陸と北アメリカ大陸は「ベーリンジア」とよばれる陸地によってつながっており、この時に人類が北米に渡ったとされる。しかし、アメリカ北部は氷床で覆われており、南下は難しかったようだ。1万4000年前、ロッキー山脈の東側の氷床が消失し、ごく細い南へ抜ける道(無氷回廊)が形成され人類は内陸部へ進出した。このことはアメリカの初期遺跡クローヴィス文化遺跡の形成時期と合致する。しかし、それ以前に南下していた可能性も残されている。

投稿者 staff : 2011年01月08日 List  

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