2011年4月2日
2011年04月02日
「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」1:日本人の縄文体質~有事に現れるその共同性と本源性
’90年バブル崩壊によって、私権拡大の可能性が消滅した。
万人の意識の心底に収束不全が蓄積されてゆく。
そして、新たな可能性収束先の探索が無意識に始まる。
そこで、意識の最も深い部分にある本能は秩序収束してゆく。
一方で顕在意識は、活力⇒収束先を見失った統合不全(≒自分不全)が中心となり、多くの者が個室収束や自分探しに向かった。
そんな意識潮流にあった’95年、阪神・淡路大震災が起こった。
都市型としては昭和19年の昭和東南海地震以来であり、死者は約6,400人を数えた。
阪神・淡路において注目すべきこととしてボランティア活動が挙げられる。
収束不全⇒自分探しの最中にいた若者を中心に日本各地からボランティアが集結した。その数は一日平均2万人超、3ヶ月間で延べ117万人とも言われる。被災地でのボランティア活動の重要度に対する一般の認識も飛躍的に高まった。
このため、’95年は日本における「ボランティア元年」とも言われる。後に内閣は1月17日を「防災とボランティアの日」と定めた。
大震災ではあったが、それ故に日本人の共同性が目覚めた瞬間であった。
未だ記憶に新しい阪神・淡路から16年が過ぎました。
かつて目覚めた共同性の発現も影を潜め、特権階級が暴走しはじめ、経済危機が顕在化し、社会の統合不全はより深刻化し、期待された民主党も国民無視の暴走を続けています。
そのような潮流の中、今回の東日本大震災が起きました。
地震~大津波~原発事故~計画停電・放射能汚染と、被害は拡大しており未だ震災は進行中ですが、この危機的状況のなかで日本人の実現可能性がはっきりと見えてきました。
😀
投稿者 nishipa : 2011年04月02日 Tweet