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2007年01月07日

波状的に遊牧民がやってきた古代中国 ~殷(商)・周~

殷は、存在がはっきりしている最初の中国古代国家と言われている。
その成り立ちは西方からの遊牧民による征服王朝のようだ。
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[紀元前1500年前頃の部族分布](中国通史より拝借)※商は殷を示す
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殷王朝の出自について より引用
>この王朝の記録をみると、その帝都の移転がしばしば行われていたことにまず注目させられる。
>留意すべきことは、本来遊牧民というものは、一定常住の都を持たないということである。羊を飼うことを中心とする牧畜民は、牧草を追って常に移動する生活様式である。
>つまり大集団である遊牧族は、王庭を転々と変える流浪・漂泊を重ねる生活がその実態であった。そのため定着帰農生活になった後にも、殷族はまだこの移動性の習性を持ち続けていたことを示すものであろうか。

>次に、中国では古く天・地の神を祀ったり、祖先の霊魂を慰撫するために祭る際に、犠牲というものを供える風習があった。それは彼等の生活の中で、祖先に民族的な最高の重要食糧を用いることに意義があったのである。後には太牢などという牛、羊、家(いのこ・ぶた)の三種の動物が主ともなった。
>牧民というものは、全く羊群を追って牧草を求めて、各地を転々とするのが本来の姿である。曲説すれば、西方族の多くが遊牧民と化し、東部地域へ流入したことは、正に羊があっての現象であるともいえる。また、羊を犠牲に用いるということは、単に牧畜民族というより、それはもと遊牧民族であった片鱗を示すものである。
>すると殷帝国の動物犠牲の中の羊の多用をみては、殷族はもと遊牧民として中国に流入した一種族である可能性を窺わせるものである。これを裏付けるものに、上記殷族の主用食糧の大麦も西アジア原産種であるという点である。 このように殷族は、おそらく西方から移動してきた遊牧民の可能性が高い。
殷の最大の敵、羌族についても、羊に人とかいて羌(きょう)と呼び、もともと遊牧民であったと推測される。殷の支配下にあり後に殷を倒し、後を継いだ周も元は西方からの遊牧民と推測されている。
(ちなみに黄河文明は恐怖の人骨文明か !?の人骨は、殷の宿敵であった羌の霊力を恐れて、次々と首を切り落としたものらしい。(参照:「四大文明(中国)」NHKスペシャル)
つまりこの時期には、西北方面ルートから遊牧民が波状的に来襲し、次々と中国各地を占拠し征服していった。そして遊牧民の中で強大化した勢力同士が争い、征服王朝を開いた。それが殷であり、次に周だったのではないか?
中国では有史以後も、元や清など遊牧民の征服王朝が現われるが、その基本系は最初の古代国家の時から同じだった。殷以前の竜山文化などについても、西アジアからの遊牧民掠奪闘争の玉突きが波及している可能性が高い。
以上より、中国の漢民族の成り立ちは、西方からの遊牧民が波状的に来襲して、塗り重ねられてきたのではないだろうか?父系の宗族(参照)は、その遊牧父系の部族集団の名残りと考えられる。父系の部族同士は、闘争を経て上下序列関係(→部族連合)を結び、国家体制を作った。
その際に元々住んでいた母系の部族(苗族)などは、隷属または駆逐され、母系部族は現在のように辺境の一部に残るだけとなった。
(by Hiroshi)

投稿者 ihiro : 2007年01月07日 List  

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コメント

これは驚きですね。竪穴式住居なんかよく見るけど、服はほとんど始めてです。
女性の服にはぜんまい?模様や渦巻きみたいな?・・・・縄文土器のデザインに近いんですね。
次回は刺青の模様とか装身具とか、楽しみです。

投稿者 Hiroshi : 2007年1月12日 00:45

縄文人はなぜおしゃれをしたのか?
紹介いただいた縄文の世界をのぞいてみましたら以下の記述がありました。
「装身具:縄文前期から顕著となり、中期~晩期で種類も多くなる。晩期には最も複雑で精巧になる。
装身具の殆どが女性に独占されており、男性の装身具は腰飾りだけに限られている。
装身具の種類が男女ではっきり区別されていることは重要な意味を持つ。
元々、装身具はおしゃれの道具というよりは、性の区別を意識させる物である確率が高い。」
ではなぜ性の区別を意識させる必要があったのでしょうか??
また、ここでは装身具は女性に限られていたと書かれていますがその根拠まではありません。(はたして本当にそうなのかなぁ)
装身具を付ける目的は一般的にはシャーマンに対してが多いようです。縄文人が普通の人も装身具をつけていたとしたら、精霊の声と交信する為の道具だったと考える事もできるのではないでしょうか?

投稿者 tano : 2007年1月13日 13:33

>ではなぜ性の区別を意識させる必要があったのでしょうか??
私もそこが疑問でしたので今回は紹介はしませんでした。
性の区別が目的って体格差で十分かるはずだし、そもそも集団規模が30人程度で殆ど家族状態あれば、そんな小細工をしなくたってわかるはず。と思ったからです。
>精霊の声と交信する為の道具だったと考える事もできるのではないでしょうか?
その可能性も高いと思います。
同じく縄文世界に以下の記述があります。
***********************************
〔装身具装着の意味〕
縄文時代を通じて、数十万点という大量の装身具が出土しているそうです。それらの大部分は土器片などと共に捨て場から見つかっており、墓から副葬品として出土した物は思いの外少ないそうです。 ・・・中略・・・ 縄文人に取り、装身具とは基本的には日常的な物ではなく、祭りなどに関連した”ハレ”の物であり、祭りの時に使用し、その終了とともに捨てられたのではないかと考えられます。
***********************************
要は装身具は日常品ではなく、祭りなどのハレの日の為に作られたとすれば、ハレの日(祭り)に精霊の声と交信していたというのは比較的想像し易いですね。
となると、祭りは何の為にあったのか?って気になります。

投稿者 mrran : 2007年1月13日 21:41

———————質問———————           他のホームページには服の模様は、まじないと載っていました。                          が・・・これには「おしゃれ」と載っているのは何故ですか。                                                                                   by  よしの

投稿者 大竹 祥乃 : 2008年7月13日 17:20

山内ではなく三内ですよ^^

投稿者 匿名 : 2009年12月4日 11:54

 夏休みの自由研究のとってもいい資料になりました!

投稿者 ayatti : 2010年7月27日 20:17

 ほかにも縄文人のファッションについていい資料があったら教えてください!!

投稿者 ayatti : 2010年7月27日 20:20

大地信仰、母胎信仰の時代なんだからではないでしょうか?男性上位と思っているなんて、たかが2000年

投稿者 匿名 : 2011年4月21日 04:47

ここって弥生時代の服はないんですか?

投稿者 匿名 : 2011年8月12日 13:19

自由研究に役立ちました。有難うございます。

投稿者 irie kanata : 2011年8月16日 21:53

縄文時代の人の服は工夫されているなと思いすごいなと思いました

投稿者 匿名 : 2012年4月19日 11:10

そーなんですか。縄文時代の
衣服ってこんなんだったんですね。
とっても役にたちました。

投稿者 れもん : 2012年6月19日 09:51

私は、もっと調べたいと思っています。
役にたちました。ありがとうございます。
また、おねがいします。

投稿者 ICHIGO : 2012年6月19日 09:59

学校の調べ事に使わせていただきました。
ありがとうございました。

投稿者 ありがとう : 2012年7月5日 10:21

すごく役に立ちました。もっと調べたいので、資料あったら教えてください

投稿者 いちご : 2012年8月23日 18:10

役に立ちました。縄文人はオシャレなんですね!

投稿者 ぽるか : 2012年11月13日 15:05

ありがとうございました

投稿者 ぽ : 2013年4月12日 11:29

 勉強になりました^^
 ありがとうございました♪

投稿者 なまこ : 2013年4月14日 20:04

ありがとうございました

投稿者 匿名 : 2013年4月17日 14:11

ふーん

投稿者 ららら : 2013年4月18日 13:53

実際着てた服はないんですか?

投稿者 m : 2013年4月19日 10:12

こんにちは!

投稿者 シユン♪ : 2013年4月24日 15:16

勉強になりました!!
ありがとうございます!!!

投稿者 嵐LOVE : 2013年5月3日 21:22

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