| メイン |

2007年02月04日

商王朝における信仰観念と支配構造

こんにちは、今回は中国の勉強です。
先の「中国の夏王朝はあったのか?」「中国文明の王位継承=世襲制とは?」では、夏王朝から世襲制が始まった、とありますね。
続いて、商(殷)王朝は最初の古代国家と言われていますが、どのような信仰観念と支配構造だったのでしょうか?
集団間を支配、統合するためには、世襲制をはじめとする制度を実現するための、力と観念が必要ですね。
るいネットの「信仰・宗教観念の成立構造整理」では、精霊信仰~守護神信仰~古代宗教までの流れを以下のように整理されています。(分かりやすいですよ)
>■精霊信仰
  自然への畏れ敬い

>■守護神信仰①(自然神の登場)
  遊牧~父系制転換
   ⇒集団第一・私益第一意識・(集団)正当化観念    
        ↓
    「守護神=自然神信仰」
 
>■守護神信仰②(人格神の登場) 
  同類圧力(略奪闘争)=他部族との相対比較、差異意識
        +
  自集団の私益第一=自集団の正義正当化
        ↓
    「守護神=人格神信仰」
 
>■守護神信仰③(信託者=王→最高神と王の同一化)
 1.武力支配・異民族支配の成立=支配正当化      
        ↓
    守護神の信託者=王
 
                  
 2.支配体制の維持⇒王の絶対性を物語化(共認支配)
        ↓
    神官・知識階級の専門職化

 3.更に広範囲の武力支配・異民族支配=帝国の成立⇒絶対的な支配正当化
        ↓
    最高神と王の同一化「王=神」

>■古代宗教
 序列体制=生涯固定の身分制度の確立

さて、↓↓クリック↓↓してから続きへどうぞ。
Blog Ranking
にほんブログ村 歴史ブログへ

 にほんブログ村 歴史ブログへ


では、商(殷)王朝について、るいネットの投稿と併せて見てみましょう。
以下は、「中国歴史奇貨居くべし」さんの記事から引用紹介します。
%E5%95%86.gif
>商代の人々は、現代では考えられないほど自然に対して畏敬の念が強いものがありました。あらゆる自然現象において、それが意味を為すものと考えられました。そして自然現象、雨・風・雷・日食にはそれぞれ神がおり、その神の行為と同等であった。つまりそれぞれの神が何らかの意図をもって行動を起こし、その現象が自然界に現れるものだとされていました。
これって、精霊信仰そのもそですね。
しかし、この時代は既に父系転換しており、守護神信仰①の段階の「守護神=自然神信仰」と捉えたら良さそうです。
>【帝・神】その神々を統率するのが帝と呼ばれる存在でした。そして王は人民と帝の媒介者として認知され、王は占卜によって帝の意図を感じ取るものとされ、巫祝王と認識されました。
また帝は自然のみではなく、戦争・頭痛・歯痛など人為的なものにも影響力を及ぼすとされました。そのため占卜の対象は、王の行為の事細かなことまで及びました。
商王朝は神聖国家でした。神権政治国家ともいいます。帝(神)の存在や影響力が強く、王はその媒介者であることが、人間界を支配する力でした。商は強大な軍事力をもとに、夏王朝配下の氏族を破り、その祭祀権を奪うことにより中原世界を支配したのです。

帝は、守護神の最高神ですから、守護神信仰②の段階の「守護神=人格神信仰」(最高神)ですね。
さらに王は、最高神である帝の意思を占いによって媒介する者(巫祝王)であるから、守護神信仰③の「守護神の信託者=王」の“信託者”というよりは、最高位の“シャーマン”といった感じですが、絶対的な存在として王が君臨するという意味においては、信託者と同じ位相と思われます。
>【邑】 当時の社会は出生を同じくする一団や一族でひとつの社会を作っていました。それを氏族と言います。氏族が集まって邑を作るとき、そこには氏族を守護する神がいると考えられました。邑は氏族と地霊とを結合させるものであり、邑を作るときは帝に伺いを立ててから行いました。したがって邑の滅亡は精神的なよりどころ、つまり神の喪失を意味しました。だから後世、国を滅しても、その祭祀を続けさせたのです。
地霊というのが良く分からないですが、ここで云う氏族とは土着の集団ではなく、王から土地(縄張り)を与えられた氏族(支配者側)が地霊を鎮め邑を治める、ということではないかと思います。
>【祖神】 さて王は帝の意思の媒介者であるという意識から、当然尊い存在であるとされました。そのため王が数世代継承されると、祖先も強大な影響力を持つと考えられるようになりました。つまり、占卜の対象が帝や神に対するものに追加して、祖霊に対するものが出てきました。前述した歯痛や頭痛、目を病むことも祖霊の祟りであると考えられました。そこで巫女を使ってそれを祓ったのです。
祖霊信仰も、支配のための正当化観念だと考えられますね。
こうしてみると商王朝は、守護神信仰③初期段階の神権政治であり、王の絶対性を物語化する神官・知識階級の登場や、最高神と王の同一化「神=王」といった段階は、商王朝の後の周王朝で登場しているようですね。
 (eto)

投稿者 nishipa : 2007年02月04日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2007/02/130.html/trackback

コメント

補足です。
アンダーラインを引いている部分は弥生ミュージアムさんの記事から抜粋させていただきました。
(  )書きは集団の状態や人々の意識を表わしています。
弥生時代の支配階級は4つの段階を経て上昇していきました。

投稿者 tano : 2007年2月15日 22:08

コメントしてください

*