2007年2月3日
2007年02月03日
土偶は縄文人が観た精霊の姿
みなさん、多彩な表情の土偶に何を感じますか?
(写真は「庁鼻和窯ほーむぺーじ」さんからお借りしました)
こんばんは、くまなです。 😀
土偶は、縄文人が思い描いた「精霊」そのものではないでしょうか。
その豊かな表情を見ていると、そんな感じがしてきませんか?
感じた!と思った方は ポチッとお願いします。
土偶=精霊だと考えれば、その異様さも多彩さも納得できます⇒参照土偶の写真集(上記写真)、縄文人の表情
土偶の多くは女性(多くは妊婦)を表わしています。
産む性としての女性に精霊との近しさを見出していくのは自然だし、その偉業に集団が感謝し、精霊にも感謝したことは容易に想像できる。成熟した女性のチャネリング能力が精霊との近さを感じさせたこともあるでしょう。
土偶の多くは目はつり上がっています。参考⇒縄文中期の土偶たち
縄文人にとって、精霊(≒自然)は厳しいものでもある。だからこそ祈り、応望する。そして精霊は期待に応えてくれる。だから怒り一辺倒ではない。そのような精霊の存在が、土偶の表情に表れているように思います。
土偶の多くは割られています。割ることを前提に作られているようです。
どうして精霊を‘割って’しまうのでしょうか?
投稿者 kumana : 2007年02月03日 Tweet