古代中国が一妻多夫制だったって本当? |
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2006年12月04日
黄河文明 古代の戦争は呪力と呪力の闘い!?
古代の統治は、祭祀によって行われていた。血縁関係のない多くの部族を結びつけるには、祭祀が必要だったようだ。
そしていざ戦争ともなると、強力な呪力を持った巫女の勢力による呪詛が敵に向かって放たれ・・・
😈 (写真は殷時代の紋章と言われているもの)
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殷の統治と支配は祭祀によって行われていた。宗教儀式=祭祀を掌握することがその地の支配権を獲得することだった。殷は新たに帰属した国や部族に王室直属の祭祀官を送り込み、次々に勢力を広げていった。支配地域を拡大していく過程で、その土地の神々を自国の祭祀に吸収し、祭られる神も増えていくことになる。
殷の戦争は呪力と呪力の戦いだった。戦いには「媚」と呼ばれる巫女を伴った。巫女たちは軍鼓を打ち鳴らし敵に向かって呪詛を唱え攻撃した。
甲骨文字には鬼方と呼ばれる強大な異民族を攻撃したときの様子が記されており、動員兵力数万人のうち投入された「媚」は3千人に達した書かれている。敵の「媚」を捕らえることは最大級の功績で「蔑暦」と呼ばれたと記されている。「媚」は呪力を封じるために真っ先に殺された。
「媚」に含まれる眉の文字は顔料で眼の回りをくまどりし呪術的な化粧を施した象形であり、後世に転じて「媚びる」となった。
また異民族の地を進軍するときは道を整備し、土地かけられた呪詛や悪霊を祓うために異民族の生首をかかげた。 祓除を終えたところを「道」と呼んだ。
甲骨文字は祭祀の過程において発生したもので天意を記すために作られたものである。ごく一部の限られた階層のものだけが読める神聖文字で一般の生活とは無関係だった。
以上“古代王朝「殷」”より抜粋引用
おそるべき呪力。おそるべき巫女達。鬼気迫るものがある。 👿 そういえば、はるか後の12世紀頃のチンギスハンの時代にも遊牧民同士での戦いにもシャーマンの呪力を使った戦闘があったらしい。軍隊が衝突するまえに、呪力で暴風雨を引き起こし相手の軍隊を圧倒したという。
日本でも部族連合的な時代になると卑弥呼などの巫女を祭り上げて統合軸に据えていた。
政治を“まつりごと”と言っているのはその名残かもしれない。
現代人からみると想像の域を越えた世界だが、実在していたのは間違いない。その時代の人々の精神世界(精霊信仰や天地への信仰)と強く結びついた上で呪力は作用したのだろう。
(by Hiroshi)
投稿者 ihiro : 2006年12月04日 TweetList
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