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2007年09月24日

中国文明:戦国時代のロックフェラー?~呂不韋

今晩は。さーねです :D
先日、みつこさんが書かれた中国における紙幣の発展なかなか面白い記事でした
さらに引続き戦国時代に焦点を当て、その当時の社会状況を掴んでいきたいと思います。
今日は、戦国時代に暗躍し、商人として千金の富を築き、始皇帝の宰相にまで登りつめた呂不韋(リョフイ)について紹介します
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呂不韋…想像図…
中国歴史奇貨居くべしを参考にさせて頂きました :wink:
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中国歴史奇貨居くべしは中国史に関する史実や分析が充実していてすごくいいサイトです。列伝から呂不韋の面白いエピソードを抜粋させて頂きます。(ちょっと長くなりますが…)

B.C.265秦昭襄王の太子が没し、次子の安国君が太子となった。安国君には子が20余人あったが、正夫人の華陽夫人には子がなかった。 その庶子の中に子楚がおり、生母夏姫は寵愛を失っており、子楚は趙の人質となっていた。子楚は妾腹の子であったので、日常生活も苦しく不如意であった。たまたま呂不韋は邯鄲に行ったとき、子楚を見て、「これは奇貨(ほりだしもの)だ。買い入れておいたほうがよかろう(奇貨居くべし)」と言った。

呂不韋は帰宅して父に言った。
「田畑を耕す利益は何倍になりますか」「十倍だ」
「珠玉の儲けは何倍になりますか」「百倍だ」
一国の君主を守り立てる儲けは何倍ですか」「数え切れない
呂不韋は「今、ここで国を建て君を立てれば、その余沢は後世子孫まで残されます。秦の公子が趙に人質となっていますが、ひとつ、 出かけていって仕えようと思います」と言って、子楚を尋ねた。

この下り。商人らしくまさに将来の利益を予測した投資そのもの :x

呂不韋は「わたしはあなたの門戸を盛大にしましょう」と言った。
子楚は笑って「まずあなたの門戸を盛大にした上で、わたしのを盛大にしてほしい」と言った。
「あなたはおわかりでないのです。わたしの門戸は、あなたの門戸が盛大になるにつれて盛大になるのです」と答えた。
子楚はその意を悟って奥に招き入れて密談した。
呂不韋は「安国君が太子となられ、その夫人の華陽夫人には子がいないので、他の者を世継に決めることになりますが、 それは華陽夫人の心ひとつにかかっています。 不韋は貧乏ながら、千金を投じてあなたのために西遊し、安国君と華陽夫人に取り入って、あなたを世継に仕立てましょう」と言った。
子楚は頓首して「もしあなたの計画通りになったら、秦国を折半してあなたと共有したい」と言った。

子楚は妾の子であり、公子でも不遇な状況だった。呂不韋は、その状況を見事についた まさに駆け引き :twisted:

そこで呂不韋は500金を子楚に与えて、賓客と交際させ、また500金で珍奇な品々を買い、秦に出かけた。手蔓を求めて、華陽夫人の姉に会い、 持参した品を残らず華陽夫人に献上して、子楚が賢明であり、華陽夫人をしたっている旨を告げた。また、夫人の姉を使って「いま夫人には子供がありません。どうして今のうちに諸公子で賢明な孝行者と親しくて、世継として養子にされないのですか。 夫の亡き後も養子が王となれば、勢いを失うことはありません」と言わせた。華陽夫人はもっともに思い、太子に「子楚という趙の人質になっている子は非常に賢明です」と言い、子楚を養子にしたいことを伝えた。そこで太子安国君はこれを許した

呂不韋は子楚に金を与えて、公子にふさわしい振舞いをさせると同時に、子のいない華陽夫人を説得,巻き込み→ついに太子をまでを巻き込むことに成功 :twisted:

B.C.252昭襄王が没し、太子安国君が代わって立ち、華陽夫人を王后とし、子楚は太子となった。
B.C.251孝文王(安国君)が没し、代わって子楚が位に即いた。これが荘襄王である
B.C.250呂不韋は丞相に任じられ、封じられて文信侯と号し、洛陽の十万戸を食邑とした。

この後、呂不韋は権力を行使し、下僕・召使いが1万人 等、その地位を高めていったが…駆け引きに優れ、実行力のある呂不韋は、秦王政にとっては自らを脅かす不安要素となる。

彼に謁見を求める諸侯の賓客や使者があとをたたなかったため、秦王政は謀叛を恐れて、書簡を送り「君は秦国にどんな功労があって河南に封ぜられ、 十万戸を食むのか。 またどんな血縁があって仲父と称するのか。ともあれ家族と共に移って蜀におれ」と命じた。呂不韋はしだいに権力をそがれ、結局は殺されることになると思った。

B.C235年 この耐えざる圧力から、呂不韋は服毒自殺しこの世を去った。
結局、商人発の呂不韋は、王政の圧力に勝てなかった。しかし、呂不韋が自らの利益のために国をも動かす陰謀を企て、実際それを実現したというのが、現在の史実のようです
中国の戦国時代は、諸国が国を支配するために凌ぎを削る戦争圧力の時代です。そのような中で自国だけでなく、国外からも有能な人材が登用されていたようです。(中国奇貨居くべし→中国的事件→外国人宰相を見てください。)社会の混乱をどのように統合していくか?という統合課題を考える人材もいれば、社会の混乱を利用し、陰謀を企て自らの利益だけを求める人材がいておかしくはないし、国が乱れている時ほど、その機は多い。
呂不韋の史実は、それを物語っていると感じました :-)

投稿者 sawatan : 2007年09月24日 List  

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