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2007年12月02日

中国:戦争の起源~環濠集落・囲壁集落の意味

先日のくまなさんの記事世界の戦争起源(戦争の考古学より)はなかなか興味深い記事だと思います。歴史上、戦争が起きることによって、社会構造は大きく変化を見せるからです。文字通り、中国は古くから戦いの歴史があり、その起源がどのようなものであったか?を探ることは、中国という国の本質に迫ることにもなると思います :wink:
今日は、中国の戦争の起源に関して、よく議論の対象となる、環濠集落と囲壁集落の意味に関する説を紹介したいと思います :o
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本当の戦争の起源は?皆で追求しませんか?
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中国の考古学 小澤正人・谷豊信・西江清高著 同成社より、抜粋していきます :o
○新石器時代中期の特質(紀元前5000年~3500年):環濠集落の出現

集落の基本は一軒の住居址に居住する一対の男女による世帯であったが、世帯は独立して存在せず、世帯共同体-世帯共同体群といった上位の集団に属していた。集落はこのような集団が複数集まることで構成されていた。また集落は環濠を巡らすなどして外に対して備えており、外部との間に緊張状態があったと考えられる。これに対し集落内部には強い求心力があり、完結的であった。ただし、集落内に特別な建造物はなく、集落周囲に形成される集団墓地においても隔絶した墓葬などはないことから、社会的な階層差が小さい、ある程度平等な社会が存在したことが想定できる。

○新石器時代後期の特質(紀元前3500年~2000年):囲壁集落の出現

(1)集落内部の構造
後期の集落では1軒の住居が1家族の生活の場となり、住居が数件集まって世帯共同体を構成し、これが最小の単位となっている。このような世帯共同体は中期にすでに確認されている。ただし中期では世帯共同体の独立性が低く、世帯共同体を数グループ集めた世帯群が形成され、これが世帯共同体を規制していた。これに対して後期では世帯群による規制がみられる集落とそれが希薄な集落がある。後者の場合は世帯共同体の独立性が高まったため、世帯群が顕在化しなくなったと考えられる。
ただし世帯共同体の独立性が強くなった地域であっても、世帯共同体が散在し、集落が解体することはなかった。依然として集住が行われ、集団墓地が形成され続ける。このような集住が継続することは、周囲に広がる未開拓地という「外部」に対する対応であったろうし、岡村が指摘するような「戦争」といような人為的な緊張関係によるものであった可能性もある(岡村 1993)
しかし同じ集住が行われた中期の集落と比較すると、中期までは小さかった内部の階層差が後期では広がった、という大きな違いがある。たとえば後期の共同墓地内部には、規模が大きく副葬品が豊富な墓葬と、規模・副葬品ともに貧弱なものがある。このような墓葬のあり方は集落内の階層差の拡大を反映したものであろう。

(3)集落間の格差
後期の集落には囲壁を設ける集落と設けない集落がある。囲壁は集落を保護あるいは防衛しようとする施設であり、その有無はその遺跡の重要度による。つまり、囲壁のある集落は保護する必要性が求められたのであり、ない集落はその必要が認められなかった。したがって囲壁の有無により集落間の格差が認められる。
ではこのような囲壁集落はどのような契機で形成されたのか。囲壁が外部から内部を守るためであるならば、囲壁集落の出現の契機は囲壁により守られるべきものに求められる。
(中略)
このような囲壁集落と一般の集落の間に一定の政治的な関係を想定する研究者が多い。すなわち「支配する側」が囲壁集落で、「支配される側」が一般的な集落、といった関係である。

この文献では、中期の環濠集落は外部との緊張状態≒争い?と考えていますが、一方で知られざる人類婚姻史と共同体社会~中国の歴史~古代中国考察の材料集め~にあるような<自然外圧に対抗するため>との説もあります。
ところが、新石器時代中期から後期を通して考えてみると、後期で格差が始まったということは、それ以前に部族同士の争いがあり、それによって支配側と被支配側という格差がついたと考えるのが妥当ではないでしょうか。もう少し、遺跡の分析状況などの根拠を調べる必要があるかとは思いますが、レアメモリーの古代・黄河文明研究②環濠集落の意味のように遊牧民族からの圧力も合わせて考えれば、概ね新石器時代中期(紀元前5000年~3500年)の間?に戦争の原形があったと考えてもよいのではないか と思います
byさーね
PS:以前、僕がアップした中国文明:姜寨遺跡の婚姻制~男達の性への欠乏△・掠奪前夜は新石器時代中期の遺跡です。環濠集落としてよく紹介されている遺跡です。

投稿者 sawatan : 2007年12月02日 List  

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コメント

久しくインダス文明の記事がなかったので、興味深く読みました。
イラン発と考えると、遊牧の血筋をひく部族でしょうか。そうすると、トラビィダ人はエラム人に支配された?
ただ、インダスに王墓や神殿の類がないことが、ちょっと引っかかるのですが…

投稿者 さーね : 2007年12月26日 19:40

>ただ、インダスに王墓や神殿の類がないことが、ちょっと引っかかるのですが…
インダス文明は確かに宮殿や神殿の類はないですね。商人が開発したということと、採集民族があまりに素直だったためではないかと(^^;)想像してますが・・・・。

投稿者 Hiroshi : 2008年1月4日 20:57

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