2007年12月16日
中国文明:戦国時代への起点=西周王朝の衰退過程
以前、etoさんが投稿された「中国文明のなんで?」の疑問。
”戦国時代、一度に大量の学者(諸子百家)が発生したのはなんで?”
恐らく、戦国時代に突入したことが、彼らに活躍する場を与えたという直感があるのですが、
では、戦国時代に突入したのはなんで?
調べてみると、どうも西周王朝の衰退にその起点がありそうです。「古代中国 貝塚茂樹・伊藤道治著 講談社学術文庫」の中で、こう述べられています。
「この新しい動きは春秋時代にわたって徐々に進行し、時代を転換させるのであり…」
byさーね 😮
西周王朝時代の中国地図…実は、これだけ国があるんですよね。
しかも、戦国時代には実は200も国があった
応援よろしくです
引用するとあまりにも長すぎるので、「古代中国 貝塚茂樹・伊藤道治著 講談社学術文庫」からまとめてみます 😮
まず、西周王朝の社会統合システムは…
○西周王朝は、諸侯に各地を統治させる封建制+農業生産から収奪する税システム
○『諸侯・卿大夫・士・庶人』の身分序列
・このうち大夫までは領地をもち、いわば貴族として支配階層を構成。
・諸侯国内の小領主が大夫であり、大夫の中で大臣になるものが卿(けい)である。
・士というものの出自は明らかではない。大夫の一族中の下層の者、あるいは、そこから没落して、農村で自作農や小地主になったもの、あるいは原住農民の邑(むら)長その他の集団の長であったもの。
○西周王朝の税制
・現在なら、国家は一人一人の収入に応じた税金を現金という形で個人から徴収する。江戸時代の農民のように、田地でとれた穀物の一定率を納めたかというとそうでもない。中国古代では、公田というものがあり、農民は自分に割り当てられた土地の収穫によって生活する代わりに、公田を邑人が共同で耕作し、その収穫を、候に納めていたものと考えられる。
→邑の庶人の意識は、自分の田んぼ=自分の利益に加えて、領主からの圧力を受け過酷な税を皆で納めなければならない。邑=血族意識の高さを反映した税制となっています。日本の税制と比較しても面白いですね。
では、その西周王朝の衰退はどのようにして起こったか
○進出力の喪失と族集団の固定化
・昭王の頃になると、南方の夷などの反撃がしだいに強くなり、東方・南方への進出が不可能に。このことは、新しい土地の入手を困難にした。(農業生産収奪システムとしても致命的)
・分家が不可能になり始めると、家長を最上級として、家族内に上下関係(年齢差)。財産は、家長父子によって相続。しだいに家長に対する従属度△。
・家長を中心とする団結と、土地などの不分割という条件を元に、五世代にわたり構成される一族内部において、死者の喪に服する義務を負わせる「宗法制」と呼ばれる家族組織へ固定化した。
○基幹軍団の衰退
・軍団を構成する兵士は、一家族ごとに耕地を与えられて生活。しかし、世代を経過すると、当然土地の不足が生じ、長男以外は生活基盤を失う。軍団内部に兵役の義務を忌避する空気△→士気低下へ。
→王朝の衰退で、有力貴族は、己の一族の利益を少しでも増加させる方向へ向いた。そうすると、自ら統治する領地でも変化が起こる。
○血族集団の解体
・新たな領地を手に入れることが不可能になったため、貴族や領主たちは、開墾によって山林を耕地へ。その時、他領の農民を誘い込んだ。農民は農民で搾取に苦しむよりも、新しい土地で少しでも有利な生活へ。
・貴族間でも領地争奪が激化。
・領主と農民との間に、個人的繋がりができ始めた。血族集団内部の個々の世帯の独立性が高まった。
→領主が王朝を無視して利益獲得へ走る。それに追随して、農民もまた血族を離れ、私益獲得へ走る 😈
身分序列の各層で、みな「私益獲得→自己中化」。これでは、西周王朝が崩壊するのも当たり前。恐らく、この頃になると人口も増加し、領地拡大しようとすれば衝突→戦争が頻繁に起こったのだろうと思います。結局、封建制とは、領地拡大が実現できなければ崩壊するという弱点を抱えているのでしょうか?
さて、冒頭に少し書いた通り、この動きがさらに春秋,戦国時代へと繋がっていきます ~次回に続く 😉
投稿者 sawatan : 2007年12月16日 TweetList
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コメント
投稿者 norio : 2008年1月5日 20:37
ついでに日本の森林も調べてみました。
日本の森林の面積は約2500万ヘクタールで、国土の面積の67%に当たります。先進国中、森林の割合が60%を超えるのは、日本とスウェーデンとフィンランドだけです。日本の森林の3/5が天然林で、残りの約2/5、約1000万ヘクタールが人工林だそうです。
先進工業国でありながら、日本の森林資源は世界に誇れる素晴らしいものですね。
投稿者 norio : 2008年1月5日 21:45
norioさん勉強になります。
しかし日本の森林の2/5が人工林とは驚きです。
林業を維持していくのは重要な課題ですね。
投稿者 案山子 : 2008年1月5日 23:54
>先進国中、森林の割合が60%を超えるのは、日本とスウェーデンとフィンランドだけです。
へーって感じです。日本はまだまだ森林が多いんですね。逆に言えば他の国はそんなに森林が少ないの?って思いました。
投稿者 mrran : 2008年1月10日 23:02
1万年前から農業が始まって人類の文明が始まったことがイメージできますね。しかし一方でそれから地球の森林面積が減少しているそうです。
1万年前の地球は62億haに及ぶ森林に覆われていたそうです。しかし、農業や放牧のための開墾、木材資源の伐採により、現在の森林面積はなんと約4分の1の16億haに縮小し、そして今なお年1500万haの割合で減少しているそうです。
温帯の工業国では、自然林は19世紀半ば以前に破壊され、残されている森林の大半は、林業を行うために人手が加えられたものです。ちなみにカリフォルニア州では、経済発展の代償として、かつて全地域を覆っていた鬱蒼たる森林の90%が失われているそうです。近年では、途上国における熱帯林の破壊が著しく、熱帯林は、アジア全体で42%、中南米で37%、アフリカで52%が失われました。
いくつかのケースを列挙します。
タイ : 1960年には国土の60%が森林に覆われ、マングローブ(塩湿地に生育する樹木の総称)林は37万haあったが、90年代に入ると、その多くが日本に輸出するためにエビ養殖池に変えられ、マングローブ林はほぼ半分に減少した。一種の防波堤として機能していたマングローブ林が失われた結果、沿岸部の住民が高潮被害を受けるケースが増大している。
インドネシア : 総森林面積が1億haを越えるインドネシアでは、1970年代に熱帯林の破壊が加速され、毎年100万haを越える熱帯林が消失した。当初、政府は産業育成のために政策的に開墾を奨励し、ヤシ・ゴム農園を開くために焼き畑が行われた。90年代に入ってインドネシア政府は、伐採規制・違法伐採の取り締まり・計画的植林に乗り出したが、違法な焼き畑に歯止めはかからず、1997年には、焼き畑に端を発する山火事で、スマトラ・カリマンタン島の30万ha以上の森林が焼失した。
1960年頃から、ブラジル・マレーシア・フィリピンでは、先進国向けの木材生産量をそれ以前の数倍に増やしたが、供給過剰に起因する木材価格の低迷により、期待したほど外貨は得られなかった。フィリピンでは、1950年に1500万haあった森林が97年には500万haまで激減、かつての木材輸出大国は今や輸入国に転落し、多数の林業従事者が貧困に陥った。
以上は 科学と技術の諸相 近代文明と環境問題 「森林破壊」から修正引用しました。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/L9_idx.htm