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2007年01月06日

中国文明最古王朝の「商」~市場の起源は支配者の正当化から始まった!

今晩は、さーねです。正月明け、最初の記事はやはり「起源」もので 😉
中国文明最古の国家「商」の市場の起源を追ってみたいと思います。(ちなみに、夏王朝が伝説上の最古の王朝と言われておりますが、やはり伝説上ですから…^^;)
「商」王朝は、商業・商人の起源ともされていて、探ってみると面白いのでは?(ちなみに日本では、殷王朝と呼ばれています)
まずは、起源を解明するために。るいネットでの有力な仮説投稿を軸に考えてみたいと思います。
国家需要が基盤となり市場が形成された
>たとえ武力支配国家といえども、共認なしには統合し得ない。したがって、シュメールの部族連合や都市国家においても、力による制圧の後、支配者の正当化としての観念、すなわち守護神信仰を創り出した。
守護神信仰も精霊信仰と比べれば本源価値を大部分失っており、万人にすんなりとは共認され難い。そこで、さらに正当化するために感覚にも訴える手法をとった。支配者の力を正当化する観念=守護神信仰を具現化するもの、それが神殿であった。したがって、国家事業は軍事、農業基盤整備、神殿造営が中心となった。
商王朝を調べてみると、なんとこの仮説にピッタリなことか!
まずは、信仰を軸とした政治=支配構造
>殷部族の長である王は、祭祀・農耕・政治・軍事など全般にわたって、占いに現れた神意に基づいて決定する祭政一致の政治を行った。殷は武力による征服と商業活動によって繁栄し、王は豪壮な宮殿や大規模な王墓を造った。
(理解する世界史より)
生贄には、時には人も…それくらい信仰による支配だったと言われています。
1.jpg
青銅器 殷(商)
(紀元前17世紀~同11世紀)
高さ133センチ、足の高さ46センチ、壁の厚さ6センチ、重さ875キロ
→祭祀に利用されたという青銅器 生贄用 でかいっ
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以下、理解する世界史より
※注:殷王朝=商王朝です
>殷王朝の時には、地方に、直轄的な軍事的拠点や資源確保などを目的とした植民的拠点があったようである。湖北省黄陂の盤龍城遺跡は長江中流域の北岸に近い場所にあり、銅資源の入手のための拠点であったとみられる。このほか、山西省・河南省・陜西省に、遺跡がみつかっている。いずれも、殷王朝の衰退に歩調を合わせて衰退している。
>史記に記されている「殷墟」である。
王墓とみられる11個の大墓も見つかった。この大墓は人・獣の殉葬をともなっている。また、青銅器、石器、玉器、陶器、象牙製品が多数発掘されているほか、甲骨文字の刻まれた亀甲・獣骨が数多く見つかった。
>経済
農業が基本産業で、木・石・貝などで作った農具を使って、きび・あわ・大麦などを生産した。牛・馬・羊・豚・犬・鶏などの牧畜や養蚕も行われた。 この時期は中国青銅器文化の最盛期にあたる。王墓の副葬品には、「饕餮(とうてつ)文」と呼ばれる奇怪な動物の文様をもつ青銅器や、象牙細工、白陶などがみられる。中央アジアの玉類、南方産の子安貝・象牙などが、交易によって遠隔地からもたらされていた。
以下、中国史より
>後期に見られる馬で牽引する戦車も非常に発達した形式のもので、軍隊の中心は戦車によって構成されたほど多数使用した…
●さて、史実から、冒頭の仮説と合わせると、商王朝は以下のように国家支配を実現したと思われます 😛
・正当化するための守護神信仰神意に基づいて決定する祭政一致の政治

・具現化するための軍事力EX.青銅器→鉄器?,後期の戦車

・具現化するための資源確保地方の植民地化→支配域拡大

・具現化の象徴である神殿を実現→さらなる支配へ!!
●商王朝は周王朝によって滅ぼされますが、王朝興亡の繰り返し=戦争によって、次々と国家需要=支配構造が生まれ、都=市場に各地方から資源や富が集約されていったのだと思います 😉
市場は、支配者の正当化から始まった と言えるのではないでしょうか

投稿者 sawatan : 2007年01月06日 List  

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コメント

自然外圧が高まると⇒集団拡大⇒贈与・交易が始まるという説ですが無理があるように思います。
やはりここはこれまでのるいネットでの議論を踏襲し以下のように修正しておきたいです。
自然外圧の低下⇒集団の拡大⇒集団の近接・接触⇒同類圧力の高まり⇒緊張緩和の必要性から贈与・交換システムの確立
従って最も贈与システムとして機能していた時代が三内丸山の最盛期である縄文中期という事になります。この時期は気候の安定期に当たり、集団規模が一気に拡大します。その中で翡翠、黒曜石はその中心物でありました。
調べるとしたらどこで採れて黒曜石は何に使われたのか?翡翠は何に、誰に贈られたのか?その辺の資料及びるいネット投稿の紹介をお願いします。

投稿者 tano : 2007年1月13日 13:24

>自然外圧の低下⇒集団の拡大⇒集団の近接・接触⇒同類圧力の高まり⇒緊張緩和の必要性から贈与・交換システムの確立
同類圧力という視点が抜けていました^^;
次回調べてみますm(__)m

投稿者 さーね : 2007年1月13日 21:28

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