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2007年11月19日

中国文明:秩序の原理~血の盟い~

先日、Hiroshiさんが書かれた記事中国の特有の人間関係 「幇」に中国という国の本質が隠されているようです。今日は、その源流を追ってみようと思い、「中国古代の文化 白川 静著 講談社学術文庫」を参考に調べてみました
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白川先生は、漢字の本でも著名な先生ですね。文字から、中国古代の社会背景などを解き明かすあたりは、なかなか読み応えがあります
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「中国古代の文化 白川 静著 講談社学術文庫」の”第3章 秩序の原理”から、関係のありそうなところを抜粋してみます。少し長くなりますが、中国古代において、秩序を維持するためにはここまでやる必要があったのか?と感じてしまいます :x

氏族の起源的な性格を文字学的に考えると、氏は祭祀共同体であり、族は軍事共同体的なものであったと思われる。氏族の形成にも、この両面が作用しているようである。また一般に、内部的な組織は、外部との緊張関係によって自覚され、強められるものである。

族という文字には、”矢”という文字が入っています。諸侯の”侯”も同様で、それぞれ軍事的な意味合いがあると解釈されています。

氏人のちかい
血縁者は、ただ血縁者であるということだけで、その氏人としての資格が保証されるのではない。氏族の成員としての資格や、その相互的な信頼を確かめ、維持するためには、種々の形式による誓約を交わし、共同体の定める儀礼に参加することが要求された。族の字形も、先に述べたように、軍礼として誓約の儀礼を示す字である。
…(中略)…
古代の氏族は軍事的共同体であるとともに、また祭祀共同体であった。祭祀の対象はいうまでもなく氏族神たる祖先神であり、祖霊であり、またその氏族の保護霊と考えられている精霊である。
…(中略)…
祖祭には犠牲を供して祭り、祭りののちにはその祭肉を分け合い、同族のものが集まって会食する儀礼が行われた。これを共餐(きょうさん)という。『詩経』の儀礼時には、祭事詩ののちにかならず饗宴詩がある。祭事ののちに食事をともにするのは、同族者としての行為であり、共餐によって祖神と同族者とが結合される。それは共同体としての関係を確かめる行為である。

最後に述べられている祖祭は、現代の中国でも宗族の集まりとして、春節(旧正月)や祝祭日に催されているようです。

誓いの形式
私的な関係、その内外を問わず個人の責務に帰すべき行為などについても、全体の秩序維持のために、種々の方法が定められている。その一般的な方法は盟約である。いずれも「ちかふ」と読む字であり、そのちかう対象は神であった。人と人との間の相互的な約束は、「ちぎり」という。
…(中略)…
一方的に、神意の反応を待つことなく、違背したときは、自ら進んで罰を受ける。これを自己租盟(そめい)という。

血の盟い
古代の中国において、どのような盟誓が行われていたかは、その関係文字の構造のうちに残されていることによって、ある程度のことを推測することができる。そのうちもっとも一般的なものは、盟と誓とである。いずれも神に誓う行為であるが、盟は血盟、誓は自己祖盟的な方法であったと思われる。
…(中略)…
盟誓のしかたは、『説文』に「牲を殺して血をすする。朱盤(ばん)玉敦(たい)、以て牛耳を立つ」としるしているが、朱盤玉敦以下は『周礼』天官「玉府」の文である。朱盤は珠盤、玉敦は玉で作った敦のことである。敦は球形の器で、青銅器として作られたものがあり、器の全形は球形をなし、上下は器と蓋とに二分することができる。しかしこれは食器であるから、血盟のときに用いるものではない。またその器は戦国期に行われた器制であり、玉敦と思われる遺物も見あたらないようである。『周礼』の作者には、すでに敦の器制についての知識がなかったのかも知れない。
血盟のときには、まず地に方形の坑をうがち、犠牲をその坑の上で殺す。いまも牧畜族の供犠の儀礼のときに、よく行われていることである。そして、犠牲の左の耳を切りとって、これを珠盤の上にのせる。またその血を玉敦に入れるとされているが、敦の器形は、これを捧げて血をすするのには、あまり適当でないように思われる。ともかく盟誓の書ができると、その盟誓に参加するものは、順次これをすするのである。その牛耳をとるものが主催者であり、盟誓の指導者である。それでその指導権をめぐって牛耳を争うことが多く、指導権をえたものは「牛耳を取る」といい、動詞にして「牛耳る」という。『左伝』には、その牛耳を争う話がいくつもしるされている。

最後の、この血の盟いは、ここまでやるのか といった感覚に陥ります。『左伝』は、春秋時代の歴史書ですが、戦乱の世…裏切りや騙しが横行する中で、ここまで盟いの儀礼で誓いをたて、鉄の掟で結束しなければならなかったのだろうと思います。
もう一つ違和感があるのは、何か人と人が結束するというよりも、神や犠牲を介して結束するというところ。強力な自集団正当化であると同時に、その内部は、徹底して個人主義的意識にあったのでしょうか
さーねでした :o

投稿者 sawatan : 2007年11月19日 List  

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コメント

こんばんは、
礼文島のような北の小さな島に、縄文北東アジアのネットワーク拠点があったというのは不思議ですね。
僕はやはり交易前夜と考えるより、大陸の外圧状況を捉えるためのアンテナとしての役割+贈与ネットワークの中核として機能させていたのではないか?と考えたほうがいいような気がする。
ただ、大陸の状況など押さえてみる必要があると思いますが。

投稿者 Hiroshi : 2007年12月16日 18:20

HIROSHIさんコメントありがとうございます。
確かに地理的にはそうですね。
ただ、大陸の外圧状況を捉える為の目的となると???ですね。まさかこの時代に国家的集団があったとは思えませんですしね。
少なくとも防衛の為のアンテナ拠点ではないように思います。であれば、何の為に?
hiroshiさんが提起しているように3800年前の大陸状況の把握はそのヒントになるかもしれません。因みに中国では夏王朝(BC2000年~)が始まったところです。あるいは黄河中流域の良渚文明の後半期にあたります。日本と中国・朝鮮半島の間で何があったかこの辺りから調べてみます。

投稿者 tano : 2007年12月16日 18:39

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