2007年9月19日
2007年09月19日
縄文人とアイヌ人
前回、オホーツク文化についてふれました。
あまりに、大陸との近似性が強く、「アイヌ人と縄文人は、全く別の民族でないのか?」
という疑問にぶつかってしまいました。
そこで、もう一度、気候変動と人々の移動、さらには、DNA分析といった側面から、この疑問に迫ってみたいと思います。
DNA分析による日本人形成より
【BC20000年頃】
ほぼ日本全土がユーラシアンです。図の黄色。
旧石器人はモンゴロイドではなく、コーカソイドの祖先と同じと推定。骨の発見を期待するところです。
【BC8000頃】
BC10000頃からフィリピン~台湾~西南諸島経由で次々に渡来した南方海洋系の人々(オーシャノイド)がユーラシアンと混合北上しながら温暖適応の縄文文化(縄文人)を形成していったと推定。図の赤です。
山岳部では旧石器のまま新文化を受け入れなかった人々もいます(八ヶ岳など)。
沿岸部では南方系文化、山岳では北方系文化が濃い状況になっていたと推定。
【BC4000】
温暖化ピークの時代です。
本土のすべてが縄文化し、北海道も縄文化がはじまる。
礼文島と苫小牧を季節移動していた漁労系縄文人の痕跡が発見されています。
青森の三内丸山では南海系の魚を食べており、黒潮が十勝沖まで北上していた可能性があります。
(鮭の骨の出土は少ない)
北海道内陸部では寒冷気候で旧文化がそのまま残ったと思われます。石狩平野や十勝平野でも、縄文化の度合いは東北よりずっと小さかったと思われます。
いよいよアイヌとの接点が見えてきます。
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投稿者 naoto : 2007年09月19日 Tweet