2007年9月22日

2007年09月22日

長江文明の城壁の意味

城壁は何の為に生まれたの :roll: ? の問いかけに、外敵から身を守る為 と答える人は多いと思うのですが、長江文明の城壁は略奪対策よりも、稲作農耕とより密接に関連していた様です。
西アジアでは、6000年前頃に略奪闘争が勃発し、5500年前頃にメソポタミア周辺の遺跡で城壁跡が見つかっています。(るいネット「5500年前ごろ、城壁が出現」より)
この略奪闘争が中国まで玉突きで広がっていったと仮定すると、中国で城塞が登場するのはその後になるはずなのですが、長江流域では6300年前の城頭山遺跡で城塞跡が発見 されています。
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城頭山遺跡想像図(安田喜憲 作成)
長江流域では、1万年以上前から稲作農耕が始まっており、6500年前ぐらいまでは、ヒプシサーマルという高温な時期で、気温は現在より2~3度高かったのが、6300年前頃に気候が一変し、突然乾燥化しはじめます。この環境変化に対し、長江流域の人々はどうしたのでしょうか?(以下、「古代日本のルーツ 長江文明の謎」(安田喜憲著)から引用)
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投稿者 maeyan : 2007年09月22日