2008年1月27日

2008年01月27日

中国文明:遊牧民族「古代羌族」の歴史②~内陸部への進出の足跡

こんにちは。
前稿では、中国西北部にいた遊牧民族の古代羌族が、中原に進出、あるいは南進した概要をお伝えしましたが、今回は、具体的にどのような足跡を残したのか、紹介していきます。
ここで再び中国の地図を紹介。
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  (古代で遊ぼさんよりお借りしました)
>青海から甘粛にかけての地域に、馬家窯文化と呼ばれる新石器時代(4000-5300年前)の遺跡が発掘されている。これらの主は古代羌族と考えていいだろう。
>青銅器時代(3000-4000年前)になると、斉家文化(甘粛から青海にかけて)やカユエ文化(青海湖東の湟中県)、寺ワ文化(甘粛)、上孫家寨類型(青海大通県)、辛店文化(甘粛)、諾木洪文化(青海都蘭県)などが次々と登場するが、どれもやはり古代羌族と考えられる。土器表面の紋様を見るかぎり、高度な文明をもっていたことがうかがえるが、中原の漢族の影響や交流も同時に感じられるのである。
>チベット高原の東部、チャムドでは、カロ(Kha rub)遺跡(4000-5300年前)という謎めいた大規模遺跡が発掘されている。古代羌族はこんなにも早くチベット高原にたどりついていたのだろうか。出土物からは西域やカシミールとの交易も考えられ、古代はわれわれの想像よりはるかに交流が活発に行なわれていたのかもしれない。
>中国の学者は、古代羌族の南下のもっとも早い例は、4、5千年前の雲南・四川にまたがる大敦子および礼州遺跡ではないかと見ている。
近年注目を浴びている四川盆地の「超古代文明」、三星堆遺跡の主は古代羌族と血縁関係にあると思われるが、より具体的にはテイ族の一種、巴人ではなかろうか。テイ族は低地に住むようになり、遊牧から農耕へと生活をシフトしていった羌族とみられている。
(以上、「送魂路」さんより引用)
どうやら、古代羌族は5000年前(BC3000年)くらいに黄河上流や長江上流へと進出し、遊牧から農耕へと転換し、定住化しては高度な文化を築いたものと思われます。
また、BC3000年頃においては、下の図に見るように、各地の文化間の交流があったようなのです。
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  (中国的こころさんよりお借りしました)
B.C.3000年代は、黄河中・下流域の龍山文化のほかに、黄河上流域の斉家文化、長江中流域の屈家嶺・石家河文化、長江下流域の良渚文化が並存し、それぞれ自立的な発展をたどりながら、地域間の交流が活発になって、地域をこえた共通性が現れるようになりました。
>山東・湖北で産する豆形土器は、中国西北部の山西龍山文化に伝わりました。
良渚文化で産する玉琮・玉璧も山西龍山文化に伝わり、さらに陝西龍山文化・斉家文化に達しました。
>山東龍山文化で産する玉璋・玉斧・玉刀も山西龍山文化に伝わっています。
一方、西北部から河南・山東地域には鬲形土器や羊の飼育、卜骨の風習が伝わっています。

>これらを見るに、相互に生産物や風習が交流されていたことがわかります。それは隣接する地域の間を少しずつ伝わっていき、しかも各種ある生産物のなかから一部だけが選択的に受容されていったものであり、各地の生活方式を一変させるようなものではありませんでした。つまり生産物を輸出する側に主体があったわけではなく、あくまでも受容する側に主体があったのであり、強い強制力はそこに発生したとは考えにくいのです。
(以上、「中国的こころ」さんより引用。)
この“交流”とは一体なんなのでしょうか?
古代羌族が黄河上流につくった斉家文化には下流の山西龍山文化の影響が見て取れるし、長江上流につくった三星堆遺跡からは下流の良渚文化の影響が見て取れる。 “交流”というからにはその逆があって然りなのですが、しかし逆方向は無いのです。
これは何を意味するのでしょう?
仮説ですが、中国西北部の高地にいた古代羌族は黄河上流へ、長江上流へと進出し、さらに下流へと進出していくなかで、下流の高度な文化を手に入れては持ち帰った。このようなことが何度も何度も行なわれては上流に定住するようになり、一方の下流域においては遊牧民から守るために環濠集落を構築していった、のではないかと思われます。
良渚文化、山東龍山文化、石家河文化、山西龍山文化などの下流域の文化はB.C.3000年代末のほぼ同時期に崩壊しています。それは洪水なのでしょうか?それとも、、、遊牧民の仕業なのでしょうか?
そしてその後、中原においては夏王朝と想定される二里頭文化が生まれるわけです。
、、、良渚文化などが一斉に滅んだのは何故でしょうか?
、、、そして、二里頭文化(夏王朝)の主は誰だったのでしょうか?
また疑問がでてきました、引き続き追求していきます。(by eto)
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投稿者 nishipa : 2008年01月27日  



 
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