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2012年04月18日

シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」~似て非なる「陰陽道」~

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 wikipediaからお借りしました~
 
古代人の思考から可能性を探る、シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」
 
前回の投稿では、古代人の思考と現代人の思考の違いを扱いました。
詳しくは・・シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」~「カタカムナ」の世界観(2)~
をご覧下さい。
 
民族学者の折口信夫が示した、万物のあいだに類似性や共通性を見出す「類化性能」と物事の違いを見抜く「別化性能」、この両極端な思考の違いが、古代人と現代人の思考の違いと言えます。
 
それでは、なぜこんなにも古代人と現代人の思考方法は違うのでしょうか。
長い歴史の中でどこで変わっていったのか。
 
この思考が変化していった背景を今回は探りたいと思います。
 
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いつもありがとうございます 😀
 
前回紹介した折口氏は奈良時代の頃から別化性能が発達してきたと述べています。
そこで、古代人の思考:カタカムナと近い思想として、「陰陽説」を紹介しているブログを見つけましたので、まずはその記事を紹介します。
 
「カタカムナに学ぶ~食や性の本来性は宇宙の輻射エネルギーとのバランス」
ブログ:日本を守るのに右も左もない 
より

【3】宇宙の諸天体や地球が放出する輻射エネルギー(陽電子と陰電子)に適応するように(バランスするように)生物や人間はサヌキ(陽電子)アワ(陰電子)を摂取・排出しなければならない。それが食や性という機構の本質的役割(本来性)である。
そのことを指しているのが「食と性の本性は、宇宙の生気(イブキ)につながり、食本能、性本能の現象も、宇宙的広域からの作動によるものである」という一文であろう。
この点で、カタカムナの宇宙認識と似ているものとして陰陽説がある。おそらくは、中国江南地方の採集部族もカタカムナと同じような認識を持っており、陰陽説はその末裔ではないだろうか。
『体温を上げる料理教室』(到知出版社)の著者若杉友子氏は、宇宙は陰陽から成り立っており、人間の体も食物も陰陽の組合せであること、そして、陰陽の法則に基づいてそのバランスをとるような食生活が必要であることを提起している。
「この宇宙の万物は陰と陽からできている」
東洋には数千年も前から「万物は陰陽より成る」という哲学があり、そこでは陰陽は宇宙に存在して、万物を常に新しく創造して、動かして、破壊して、再び造り上げる根本的で相対的なエネルギーだと考えている。
「陽性は右回転のエネルギー、陰性は左回転のエネルギー」
宇宙は回転エネルギー、渦巻きによってできている。大きなものでは星雲や太陽、小さなものでは元素とか素粒子も回転している。人間の頭のつむじも指紋も渦巻きになっている。

 
このように、「陰陽説」は、万物が陰と陽の相対的な回転エネルギーによって出来ており、その収縮性と拡張性のエネルギーのバランスによって世の中は成り立っているという考え方です。
 
この考え方は、カタカムナの捉え方である、正反対称性とひずみ性に似ています。
シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」~「カタカムナ」の世界観(2)~より

天然自然に存在するものには、すべて正と反(陰と陽)が存在している。究極の正反は「カム」と「アマ」の関係である。次の正反は、アマ始元量の究極粒子であるマリの正反である。マリの正反は、マリの回転方向の違い、すなわち右回りか左回りかによって生じている。

 
そして、万物を陰と陽という世界で捉えることは、物事の関連性、類似性を捉えて整理していく、万物を繋げていく類化性能の思考と言えるのではないでしょうか。
 
このように、「陰陽説」は古代人の思考を引き継いでいるものだと言えそうですが、この陰陽説を利用した「陰陽道」は少し違った傾向を示します。
 
陰陽道についてより

●陰陽道とは??
陰陽道は太古に発生した中国の民間信仰で、天の動きと人の世の動きには関係があるという思想(天人相関)に立ち、万事に吉凶を天文の変化から予知し、これによってどう対処してゆくかを決めるものです。
陰陽道の核になっているのは、中国の戦国時代に発展した、万物に陰陽の二元的原理を立てる「陰陽説」と、五行という五つの概念を組み合わせることにより、すべての存在や現象を解釈することによりその意味を考える「五行説」を組み合わせて作られた「陰陽五行説」です。
陰陽師(陰陽道の担い手)はそれらの考え方に基づき、天体を観測し、暦をつくり、時をはかり、各種の器具を考案して占いをします。

 

 wikipediaからお借りしました~
 
陰陽道は、陰陽説を応用しつつ五行説を加えて、物事を分類し体系化する形となっています。そして行ったのは行動の指標となる、吉凶の判断。
目的が吉凶の判断となったために、まずは物事を分類する思考に変わっていき、万物の繋がりではなく、分類のパターンを決める方向に向かった。
 
その背景には、当時(奈良・平安)の朝鮮渡来の支配層は私権意識が強く、支配層と庶民を分け、国家統治のために様々な階層を作り出していった状況が挙げられます。
(奈良時代からの律令制、冠位十二階など)
つまり、分類していく思考、別化(異化)思考を好んだことは容易に推測できます。
そのため、私権意識の強い支配層の求める吉兆判断の手段として利用される陰陽道も別化思考に変質していったということでしょう。
 
つまり、陰陽道は私権意識の拡がっていく社会の中で、類化思考から別化思考に変化していく中で生まれてきた思想であり、それが現代人の思考にまで繋がっているのではないでしょうか。
 
そのため、陰陽道は古代人の思考とは似て非なるものであり、古代人の思考の名残を残した劣化態と言えると思います。
 
今回は陰陽道を通じて類化思考から別化思考への変遷を扱いました。
私権意識の拡大をきっかけに現代まで蔓延した別化思考は、私権の衰弱とともに見直されるのも必然と思われます。
私権時代以前の思考:類化思考の追求の重要性も高まりますね。
 
まだまだ古代人の思考:類化思考とその可能性の追求は続きます。
お楽しみに~ 😀

投稿者 vaio : 2012年04月18日 List  

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コメント

呉人―九州・瀬戸内
越人―出雲・北陸
楚人―出雲・近畿
なぜこのようにいえるのでしょうか。なにか物的資料があるのでしょうか。
 「おそらく3世紀中頃に高句麗の一派が出雲に到着し」唐突に高句麗が出てきますが、新羅の方が適切ではないでしょうか。
 

投稿者 駿河国住人 : 2013年3月1日 23:41

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