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2009年03月09日

後期旧石器時代の日本:遺跡間接合~世界的にも珍しい”交流を示す?”

少しわかりにくい言葉ですが、今日は遺跡間接合をテーマにしたいと思います。考古学用語の様で、その意味するところは、
「それぞれ別の遺跡で見つかった石器が、もともと一つの原石から作られたことが判明する」こと。
ここに、人類の本性は共同性にあるるいネット)が見えてきます
単なる考古学的な論証に終わらすのではなく、その背景を鮮明にしてみたいと思います。
参考図書 日本の歴史01 縄文の生活誌 岡村道雄著 講談社学術文庫
byさーね
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後期旧石器時代後半の時期になると、寒冷化がいっそう進み、人びとは遊動性を強めたが、より移動生活にふさわしいように道具を軽装備に改良した。そのため、効率的に石器を作るための新しい手法が、各地で考案されたのもこの時期の特色である。東日本や九州地方では、黒曜石や硬質頁岩(東北地方の日本海側から北海道南部で採れる、細粒の泥土・粘土の堆積岩)など、良質の石材を使って規格的な縦長の剥片を連続して作る「石刃技法」と、石刃を用いて作った石刃石器群が全盛となった。

中国・四国・近畿地方ではサヌカイト(讃岐などで採れる黒色で、きめの細かい古銅輝石安山岩)などを用いて、「瀬戸内技法」と呼ばれる横に長く規格化された剥片(鳥が翼を横に広げたような形をしているところから、翼状剥片と呼ばれる)を連続して剥ぎ取る、特殊な石器製作システムが生み出された。いずれの地域においても、石刃や翼状剥片を用いてナイフ形石器がよく作られたが、とりわけ東日本では、石刃を用いてナイフ形石器とほぼ同じ数の彫刻刀形石器が製作された。また東北地方以北では、毛皮をなめしたり、ものを削るために石刃の先端を加工したエンドスクレイパーも多く使用された。

一般にどこかで製作した完成品をその遺跡に持ち込んだり、逆にそこで製作した石器を接合して元の原石に戻そうとした場合、せいぜい三分の一程度しか復元できないことが多い。これらのことは、三ヶ所の遺跡を移動する間に一つの原石を石器の材料として使いきる程度の頻繁な移動であったことを示している。

それぞれ別の遺跡で見つかった石器が、もともと一つの原石から作られたことが判明する、いわゆる「遺跡間接合」の成功例は世界的にもめずらしい。神奈川県綾瀬市吉岡遺跡群B区と藤沢市用田鳥居前遺跡間、新潟県の信濃川中流域沿いに位置する津南町……などでも確認され、先に述べた遊動生活が頻繁に行われたことを具体的な遺跡間で裏付ける資料が増えている。

この遺跡間接合自体が、集団間の交流までを示していたかどうかはまだわかりません。しかし、寒冷化という自然外圧により遊動生活が当然であった時代において、集団間が遭遇することは多々あったと思われます。例えば、一地域を捉えても、外圧を凌ぐ場所も限られていた=例えば2つの集団が遭遇する確率は高かった。と考えられるのではないでしょうか?
しかも、世界的にも珍しく、日本でそれが見つかった。日本人の特徴である共同性とも整合する。
寒冷化という外圧→遊動型の生活様式⇒集団間が出会う確率△
↓               ↓                 ↓
獲物や食料確保のための創意工夫(石器の様式)    ↓
↓                                  ↓
その創意工夫が伝承されていく=集団間交流←←←←←┘

考古学上の「遺跡間接合」は、集団間が交流するまでの一連の経過を表している現象だと考えられます。
最近このブログでも縄文時代の北海道と北東北の交流・交易のように、交流事例が紹介されていますが、日本では、既に旧石器時代にその素地があったと考えてもよいのではないでしょうか。
改めて、人類の本性は共同性にあると感じました。
参考投稿:るいネット
人類の本性は共同性にある①
人類の本性は共同性にある②

投稿者 sawatan : 2009年03月09日 List  

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