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2009年03月24日

二つの顔を持つ日本の神

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最近、『古代史の「謎」入門(著者:関 裕二)』という本を読んでいます。その中に日本人の信仰の根本原理がわかりやすく書かれていたので紹介したいと思います。
上絵のような雷神様、そういえば雷神様もまさに神でしたね!なんで神様なのに怖い顔しているんでしょうか 考えたことありますか 。「触らぬ神に祟りなし」神様って悪者なんでしょうか?
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【二つの顔を持つ日本の神】
唯一絶対の神を崇拝する一神教とは異なり多神教の神は「正義の味方」とはかぎらない。ときには悪さもする。
たとえば出雲神スサノオは、天上界で乱暴籍をはたらき、天照大神(あまてらすおおかみ)をこまらせ、地上界に追放されている。人間味あふれる神々が登場するところが、多神教たるゆえんなのだ。
いや、人間味あふれるどころか、神はときに祟りをもらたし、人々を震え上がらせたものだ。「触らぬ神に祟りなし」というのが、日本の神の本質でもある。神の気にさわることをすれば、恐ろしい祟りに遭うわけだ。
それにしても、なぜ、本来なら正しいはずの神が、人々を苦しめるようなことをするのだろう。
このあたりの事情は、「雷神」を思い浮かべればすぐに理解できるだろう。
「雷神」は祟り神の特徴で、雷に打たれれば、人はひとたまりもなく死んでしまう。その一方で、雷の精が稲の精と結びつかなければ、稲は育たないという考えがあった。雷光を「稲妻」というのはこのためで、この場合、「雷神」は恵みをもたらす有益な神となる。
なぜ神は相反する二つの顔を持っているのだろう。多神教の神は、「大自然」「宇宙そのもの」と考えるとわかりやすい。
大自然は、ときに荒れ狂い、天変地異をもたらす。その一方で、大自然はわれわれに、豊穣をもたらすのだ。これが神の仕業であり、神は大自然なのだから、善悪の基準を当てはめることはできない。
また、恐ろしい大自然=神を丁寧に祀り、鎮まっていただければ、逆に豊穣がもたらされるという発想が芽生えていく。 

神社の祭りで御神輿(おみこし)をかつぎ、神に年に一度だけ大暴れしていただくのは、まさに暴れまわっていただくことで、なだめすかし、祟る神から豊穣をもたらす神に変わってもらおうとしているのだ。
古代人にとって、豊穣をもたらす神も祟る神も表裏一体の存在であり、どちらも神だった。そして、豊穣をもたらす「神」にたいし、祟りや災難をもたらす神は「鬼」とも考えられた。神を鬼は、表と裏の関係ということになる。力がありあまり、暴れまわる神は鬼なのだ。
そう考えていくと、元興寺の鬼退治の童子が、なぜ鬼呼ばわりされたのか、その理由がわかってくる。鬼を退治するほどの力を持った者は、やはり鬼だったのだ。その証拠に、鬼退治の童子は、雷神の子という設定だった。雷神は神であると同時に祟る鬼でもある。


『神は大自然なのだから、善悪の基準を当てはめることはできない』
そうだと思います。善悪判断ではなく、大自然をとことん直視し、肯定し、精霊信仰へと昇華した様子がななとなく理解できますね。

投稿者 mrran : 2009年03月24日 List  

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