日本人はどこから来たか?①~陸続きか?陸続きではないか? |
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2009年01月27日
日本人はどこから来たか?②~中国大陸からの渡来の可能性
日本人はどこから来たか?①~陸続きか?陸続きではないか?の続きです。津軽海峡と繋がることがなかったということが事実であれば、それ以外の方向。つまり大陸側あるいは南方からというルートが考えられます。ここでは、中国大陸からのルートの可能性を考えたいと思います。(るいネットのスンダランド海洋航海民の誕生など南方説もあるので読んでみてください)
byさーね
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中国大陸の古人類と前期・中期旧石器文化
中国を中心とした東アジアの古人類や旧石器文化研究の成果によれば、中国大陸の南部、四川省の龍骨は遺跡から、二百万年近く前の石器と哺乳動物化石が、雲南省の元謀からは百六十万年前ほど前の「原人」とサイ、ウマの化石が発見されているという。一方、中国北部、北緯三十五度に近い陝西省の公王嶺からは、約百万年前の藍田原人が、さらに北緯四十度の河北省泥河湾遺跡群では、約百八十万年前の小長梁遺跡や約百万年前の東谷イ遺跡などが確認されている。(中略)
やがて約六十万年前になると、北京市郊外の周口店洞穴に北京原人が住みはじめる。(中略)
大陸では「原人」が、すでに約二十六万年前に古代型ホモ・サピエンス(「旧人」)に進化しはじめていたらしく、まず金牛山人が発見されている。そして、約二十万年前には大レイ人、約十三万年前の馬覇人、約十万年前の許家窯人などの化石が知られている。(以降、略)
日本人はどこから来たか?①で述べた4回のチャンス 😀
>約百二十万から百万年前、約四十三万年前、三十数万年前、二十数万年前の四回あったとすれば、現段階では単純に以下のように日本列島に渡来できる可能性が考えられます。
>約百二十万から百万年前⇒約百万年前の東谷イ遺跡の人々
>約四十三万年前⇒残念ながら考古学上はまだいない…
>三十数万年前⇒金牛山人
>二十数万年前⇒大レイ人
ここから、かなり推論ですが、少なくとも二十数万年前に中国から渡ってきた可能性もあるのではないでしょうか。現在の渡来ルートは南方説・北方説両方あるためなんとも判断しがたいところがあるのですが、大きく、陸続き時代に渡来した。その当時は、まだ支配層の登場もなく、みな集団第一で共同性を有していた…そんな人々がやって来た。
そして、温暖期の縄文時代は海に囲まれて大陸とは閉ざされた孤島となった。渡来した人々は、日々自然圧力に対しながら共同生活をしていった。その後、中国大陸が争いの時代に入った後も、このような状況が、縄文文化=共同性を育むことになったのではないでしょうか。
投稿者 sawatan : 2009年01月27日 TweetList
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