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2007年09月05日

火山活動から日本列島の成り立ちをみる~続編

さて、前稿に続き火山の歴史です。
火山のHPを回って検索してみました。
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●富士山
約10万年前:古富士・小御岳火山の活動が始まり、大噴火が繰り返されて富士山の土台が出来上がる。
約1万年前 (縄文時代):新富士火山の噴火活動が始まり、現在の富士山(原型)が形作られる。
現在の富士山が形作られるまでには、多くの噴火があり、またそれ以降も300年前までは定期的な火山活動が繰り返されてきました。

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●箱根山
箱根の火山活動は約40万年前に始まり、10-20万年かかって標高2700m程度の富士山型の箱根山が出来たと推定されます。  爆発が収まり、マグマが収縮した為、20万年前頃、この箱根山の中央部が直径約8kmにわたって陥没し、複雑な地形の火山となりました。  
15万年ほど前から火山活動がまた始まり、4万年前には大爆発が起り、その時の火砕流は横浜まで達したと考えられています。  
さらに2万年前の火山活動により早川がせきとめられて現在の箱根・芦ノ湖が形成されたと考えられています。 箱根の外輪山に囲まれた地域の山々はこの3回の大きな火山活動により作られました。

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●大山
大山は、約100万年前に始まり2万年前まで続いた火山活動によって形成された山です。活動は古期と新期に分けられ、古期の活動でできたカルデラ壁の一部が山などの北東側の山として残っています。
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●浅間山
約10万年前以降,浅間・烏帽子火山群の東よりの地点に,大型の安山岩質成層火山である黒斑火山が成長を開始した。約2万年前には軽井沢付近で噴火が発生し,軽石質火砕流(雲場火砕流)の噴出ののちに溶岩ドーム(離山溶岩ドーム)が形成された。約1.3万年前にはこれまで知られている浅間火山最大の噴火が発生し,大量の降下軽石と火砕流の噴出が起こった
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●十勝岳
十勝岳は約50万年前から活動している火山で,十勝岳や美瑛岳・美瑛富士・オプタテシケ山など10個あまりの火山が集まって火山列をつくっています。十勝岳の火山活動史は古期・中期・新期と3分されています。古期には富良野岳ができました。白金温泉には,中期の白金溶岩とその下に白金砂礫層が露出しています。白金砂礫層は古期と中期の境目の時期に堆積しました。十勝岳山頂部は溶岩ドームでできています。これは中期の最後に噴出しました。新期にはいって(約1万年前),美瑛富士や鋸岳(のこぎりだけ)が成長しました。
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●渡島大島
更新世(今から200万年前~1万年前)に海底火山がこの地で活動をはじめました.
海底火山は海面下1200mで噴火を繰り返し,ついに海面に顔を出し火山島が誕生しました.
これが渡島大島です。今から約1万年前には西側に清部岳(別名:西山)が噴火し,火山が形成されました。

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6つの火山の歴史を見てきましたが現在の火山群の活動は200万年前から始まり、10万年前頃から活発になり、1万年前にほぼ収束していることがわかります。日本列島の形成過程に火山活動が大きく関わっていることがわかります。また、縄文時代に入ってからの最大の火山活動は鬼界カルデラがある南九州に集中しています。
火山活動がこれだけ多い日本列島になぜ人が住みついたのか、火山活動が人間の生活に大きく寄与している事を調べた学者がいます。日本人はるかな旅より借用しました。

南九州には、カルデラ火山が集中している。人々の生活は、これらの火山と共にあったといえる。
そして今から6.300年前、この分布の一番南に位置する海底火山が、日本列島に大きな影響を与えることになった。 海底火山の大爆発「鬼界カルデラ」である。上野原をはじめとする南九州で繁栄してきた縄文集落に襲いかかったのである。
何故危険な火山地帯にも関わらず、人はそこに住むのか。 一生の間に火山の大噴火に遭遇する確率は極めて低いだろうから、火山の噴煙に慣れてしまい、自分の生きているうちには噴火はしないだろうという意識が働くからかもしれない。しかし、話はそんな単純なものではいようだ。

大阪市立大学理学部教授・熊井久雄氏によると、

太古から火山地帯は、生活する上で有利だったようだ。八ヶ岳の長野県側。縄文時代の遺跡の分布と火山の地形を良く調べると、ある傾向が見つかった。遺跡は火山の麓に集中しているのである。そして、大変理にかなったことだったという。
火山は天然の貯水池でもあったのである。火山灰土壌は雨水を吸収しやすく、溶岩の裂け目も水の通り道になる。下部へと降りた雨水は、水を通しにくい泥炭層とぶっかり、溶岩の中を通ってゆっくりと下流へと向かってゆく。それはやがて湧き水となって、裾野の地表に出る。
この水こそが人々を潤したのである。水の無い場所では人は生きていけない。火山の周りを流れる河川の流量も湧き水同様に豊富なことから、人々は火山の周辺に居を構えたと考えられる。 又、あまり語られていないが、体を癒してくれる温泉という恵みにも気付いていたかもしれない。
更に、火山は土壌を豊かにしている。これは火山周辺の環境に限らず、日本全体にいえることだが、日本の火山灰の中でも特に黒みがかった火山灰土壌は、有機物が豊富で非常に肥沃だという。そのため木々や植物が良く育つというわけだ。その後の日本で畑作や稲作が栄える背景にも火山灰土壌の存在が深く関わっている。

また南で起きた火山活動が九州の縄文文化を東へ伝えた記録がある。

2000年の秋、東京の多摩ニュータウンで、4.500年前の縄文時代の遺跡が発掘された。 5万㎡の敷地から274の住居跡が見つかっている。関東で最大級の集落遺跡である。ここから、大量の土器に混じり木材を伐採するための石斧が250本近くも見つかった。それらは全て、あの南九州の人々が生み出したと考えられる「磨製石斧」だった。
列島の南で生まれた早咲きの縄文文化は、南九州では確かに幻と消えてしまった。しかし、南九州の縄文人たちは、火山噴火の前後に海人の精神と文化を携え、黒潮に乗って東へ東へと拡散していったと考えられるのだ。

日本列島の歴史、縄文人の歴史は火山と切っても切れない関係があるようです。tanoでした。

投稿者 tano : 2007年09月05日 List  

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コメント

生贄ってなんで行うのだろうか?マヤ文明でも生贄ってよく出てきますが・・・・?
たとえば縄文人だったらやらないだろうな・・・・と思うし。
すでに強力な守護神(自己正当化観念)?が存在している可能性があるのでは?

投稿者 Hiroshi : 2007年9月25日 00:06

さすが、いいとこ突いてきますね>Hiroshi さん
確かに縄文では、生け贄の形跡はありませんね。
この辺りが、次回のテーマになりそうなので、守護神=自己正当化観念という捉え方も踏まえて、追求してみます。
お楽しみに。

投稿者 maeyan : 2007年9月25日 16:45

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