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2010年10月18日

日本人の起源(4-番外編)~北方なのか?南方なのか?

前回の記事
シリーズ「日本人の起源」(4) 縄文人はどのように形成されていったのか
>弥生人との融合以前に、縄文人そのものが一つの民族ではなく、様々な時代ごとに日本列島に辿り着いた様々な民族の総称であり、その中でも多数だったのは北方から辿り着いた北方モンゴロイド民俗だったようです。
本日、日本人の起源シリーズ5回目のネットサロンだったのですが、前回のテーマに関しては、やはりなんだかスッキリしないっ!というのがみんなの意見でした 😮
「北方適応したモンゴロイドが多数だとしたら、アイヌの存在が説明つかない?」
「そもそも縄文人は、北方のしょうゆ顔には程遠いのでは?」

ということで、今日は前回に続いて、日本人はどのように形成されたか?スッキリさせよう!ということで、再度、追求してみました!
byさーね
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●北方モンゴロイド,南方モンゴロイドとは?
まず北方というと、極寒の地で北方適応した狩猟系部族。その対極として、南方の漁労採取部族というようにイメージしがちですが、どうもこれが一つの間違いのようです。北方起源説をあたかもバイカル湖よりも以北で適応した狩猟部族をイメージしてしまい、それが、縄文時代に入る前の2万年前から、陸続きとなった日本列島へ流入してきたと考えると、現在、解明されている縄文人の姿や生活様式とかけ離れてしまいます。
※例えば、しょうゆ顔の北方適応部族とソース顔の南方適応部族。一般的には、縄文人は南方系の顔つき。
縄文顔と弥生顔
よって、古モンゴロイド(東南アジア系)と新モンゴロイド(古モンゴロイドの子孫)という区分で説明した方が良さそうです。元々、北方と南方という区分は、遺伝子学に重点をおいた区分だそうです。ウィキペディア
●縄文以前に流入してきたモンゴロイドは?
ただし、前回記事にもあったように、日本の北方と南方の両方から日本列島に流入してきたことが事実だとすると、どのようなルートをとって渡ってきたか?が問題となります。ちなみに、バイカル湖周辺の部族の遺伝子と縄文人の遺伝子が酷似していること。その当時の東日本の石器文化が、バイカル湖周辺までの文化と酷似していたことがその根拠です。
日本人の源流を探して
05.バイカル湖から押し寄せた東日本人の祖先
私達は、現在解明されている範囲での縄文人の姿や生産様式をふまえると、古モンゴロイドが南方及び北方から流入してきたのではないかと考えました。
バイカル湖の以北から下ってくるというよりは、古モンゴロイドが南方から中国あたりを突っ切ってロシアへ向かう途中で、樺太あたりを通って日本の北方から流入した。これが北方
一方、スンダランドから中国沿岸を渡り、朝鮮半島あたりから、日本の九州,中国あたりに流入した。これが南方
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北方,南方のルートの違いだけで、南方系の古モンゴロイドがまず縄文人を形成したと考えた方が、縄文人の姿や生産様式に繋がります。アイヌの存在や縄文人の顔が南方系という事実にも整合します。
●弥生時代初頭に渡来してきたモンゴロイドは?
弥生時代は、大陸で既に戦乱が興っており、北方適応した部族=新モンゴロイドも中国に入り込んでいると考えられます。その戦乱の中で弾かれた部族が、朝鮮半島から日本に大量に渡来。弥生人を形成した。
まとめると、
・南方系の古モンゴロイドが日本の北方,南方から流入し縄文人を形成した。
・古モンゴロイドの子孫=新モンゴロイドが、弥生時代に大量渡来してきた。

ちなみに、この説は最近出てきているようです↓
書評空間 『新日本人の起源』 崎谷満 (勉誠社)
今日のネットサロンでの追求は、かなりスッキリしました!
次回から、弥生時代の成り立ちを追求していきます

投稿者 sawatan : 2010年10月18日 List  

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