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2011年03月26日
「南から見た縄文」2~オーストロネシア語族(ポリネシア人)は、なぜ遠洋に拡がったのか?~
「南からみた縄文」第1弾では、南太平洋地域に拡がるオーストロネシア語族について、その言語的特長から、どこから派生し、どのように拡がって行ったのかを調べました。
東南アジアにルーツをもつオーストロネシア語族が、その高い航海術を駆使して東へと移動した時期は、大きく2回に分けられ、1回目は今から5000年前に動き出しました。そして、2回目の3500年ほど前からよりダイナミックとなり、土器や樹木類、根茎類を携えてメラネシア、ミクロネシア、ポリネシアの大小の島々へと渡り、移住、定住、混血を繰り返しながらやがて、ハワイ諸島やイースター島まで拡散していきます。
では、どうして彼らは、ハワイ諸島やイースター島まで移動したのでしょうか?ハワイ諸島への最初の集団移住があったとされるマルケサス諸島からは、3,500kmも離れており、まず、どうやって見つけたのか?不思議ですし、何もなければ、行こうとも思わないでしょう。
ネット等で調べると、好奇心、冒険心が旺盛だったから等と書かれていますが、女性や子供も連れていることから、それだけでは説明がつきません。
そこで、第2弾では、そのオーストロネシア語族は、どうして太平洋中に拡がったのか?その謎に迫りたいと思います。
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ポリネシア人の特徴
まず、最も遠方まで拡がったポリネシア人の特徴から見ていきます。
ポリネシア人は、海のモンゴロイドと呼ばれますが、アジアのモンゴロイドに比べたら大柄な体型で、体重に対する筋量と骨量の比率が他のあらゆる人種を大きく上回るため、『地球最強の民』などと称されることがあります。
また、思春期が他の民族よりも比較的早く、第二成長期が長く、多くの子供を産む傾向にあります。
では、彼らはどうしてこのような身体的特徴を持つようになったのでしょうか?
この秘密を解くカギは、彼らの拡散過程にそのヒントがあります。
そこで次は、少し前回のおさらいになりますが、彼らはどのように拡がっていったのか?を見てみます。
ポリネシア人の伝播過程
ポリネシア人の伝播過程を下図に示します。
移動の第一波で5000年前に台湾から南東に出た人たちは、4000年前頃にはニューギニアにまで達し、第二波の3500年前頃からさらに東に移動して、まずフィジー諸島に、さらに3100年前にはトンガ、3000年前までにはサモア諸島に到達します。
そして、約1300年の停滞の後、1700年前にマルケサス諸島に渡り、そこから一気にイースター島、ハワイ諸島と拡がり、約1000年前~800年前にニュージーランドに到達します。
この移動経路に太平洋の海流を合わせてみると・・・
なんと!彼らは常に海流に逆行する形で新しい島へ到達していることが分かります。
ポリネシア一帯は、東から吹く貿易風(常に変わらない風)と東からの海流が主流になります。ポリネシア人の第二波の東への移動は、この東からの流れに完全に逆らうものでした。したがって、この移動は決して漂流ではないことは明らかです。
はっきりとした意志を持ったものであることが分かります。
ポリネシア人の航海技術
この、風向き、海流の向きと逆行する航海を可能にしたのが、彼らの航海技術でした。彼らの船(シングルアウトリガーカヌーおよび双胴船)は、風を切って進むことができ、しかも、釘の一本も使わずに、ナイフの差し込む隙間もないほどの精密な工法により、遠洋航海にも耐え得るものでした。サモア諸島で1300年の停滞があったのは、この船の開発に、これだけの時間が必要だったということではないでしょうか。
また、東風帯であったからこそ、東へ行くことができたとも言えます。東に必ず島があるとは誰にも分かりません。苦労して東に進んでも、島が見つからなければ、安心して東風と海流に乗って、戻ってくることができます。
このように、風、海流とは逆向きに進むことを可能にしたカヌーですが、そのカヌーをもってしても防ぎきれないものがありました。
それが、強風と波飛沫です。
強風により汗が蒸発し、体温が奪われ、さらに夜間になれば、波飛沫によってもどんどん体温が奪われます。
これに適応するために、彼らが次に可能性を見出したのが、自らの身体を作り変えるということでした。
作り変えられた身体
遠洋航海により、どんどん奪われる体温を体内に留めておくために、彼らがとった適応戦略こそが、皮下脂肪を厚くすることでした。
ただし、身体全体に皮下脂肪を蓄えたわけではありませんでした。人間の身体の中で最も寒さに敏感であり、尚且つ常に強風と波飛沫を受ける四肢に、皮下脂肪を蓄えたのです。
この適応戦略と、遠洋航海に耐える耐力作りのために、巨躯を獲得し、『地球最強の民』となっていきました。
しかし、ここで大きな疑問が生じます。
どうして彼らは、自らの身体を作り変えてまで、遠洋に漕ぎ出したのでしょうか?単なる好奇心や冒険心では説明がつきません。
内圧発でないとしたら、外圧発の可能性があります。
そこで次は、彼らの住む地域の自然環境を見ていきたいと思います。
東南アジアからポリネシア地域の環境
私たちが南の島と聞くと、緑が多く、常夏で、海もきれいで、すごし易い快適なイメージを抱きますが、実態は果たしてどうなのでしょうか?
先日ニュージーランドで巨大地震がありましたが、実は日本だけが地震大国だと思っていましたが、東南アジア、ミクロネシア、メラネシアといった南太平洋は、ほとんどが地震大国なんです!
その地震と関連して重要になってくるものに、火山活動があります。下図(ネットで百科)は世界の火山分布です。
この図によると、日本はもちろんですが、東南アジア、ミクロネシア、メラネシアそしてポリネシアまで、そのほとんどに火山が存在していることが分かります。
これらの火山地帯では、火山によって島ができることもあれば、島がなくなることもあります。また、島に火山灰が降り積もることがあります。
火山から放出された細粒の火山灰は、地表に累積しつつ風化されて、関東ローム層などでみられる赤土となり、地表が植物で覆われると、その腐朽物質が集積して黒色の腐植層が形成されます。この腐植土は保水性は高いものの、リン酸と結び付きやすく、植物のリン酸を奪うことになります。
リン酸は、生長の盛んな芽や根の先端、花や実などに移動して細胞の増加を助けますが、これが不足すると、花もできにくく、実も小さくなります。
したがって、オーストラリアを除く、南太平洋一帯(環太平洋火山帯)の土壌は、植物の生育にとってそれほど良いとは言えません。
これがポリネシア人たちが移動を余儀なくされた一因なのではないでしょうか?
また、火山の噴火や地震によって津波が発生します。この津波による被害は東北の例を見ても分かるように、甚大です。しかも、東南アジアからポリネシアに広がる島々の中には、東京都の半分よりも小さいものが多数あります。そんなところに津波がやってくれば、ひとたまりもありません。
さらに、火山の噴火では、火砕流や溶岩が発生し、島からの脱出を余儀なくされる場合があります。
これらのことが、南太平洋地域に伝わる神話には、頻繁に出てきます。
多産による人口増加や食物の生育不足による飢餓、火山の噴火、津波等から逃れるため、島を脱出する神話がたくさんあります。
この地域特性が、彼らが移動する航海民になった理由なのではないでしょうか。
どうやってポリネシア人は、遠洋に拡大していったのか?
では、彼らはどうやって新たな島を見つけていったのでしょうか?
当時はもちろん地図なんてありません。そのヒントは、柳田国男が日本人の南方起源説を唱えるヒントとなったものにあります。
それは、椰子の実です。柳田国男は滞在先の愛知県の伊良湖岬で、黒潮に乗って流れ着いた椰子の実を見て、南方起源を想起しました。
原理はこれと同じなのではないでしょうか?
つまり、台風等によって、飛ばされた木の実が、海流に乗って、東から流れ着く。その木の実を見て、流れてきた方向に島があるはずだと思うわけです。
また、渡り鳥によっても、島の方角は予測できたでしょう。
おそらく、突発的な非常時(火山噴火、津波)以外の食糧難等の時は、これらによって、島の位置を探していったのではないでしょうか。
もちろん、この際は、まず男集団が船を漕ぎ出して探索し、島が見つかれば家族で移住したでしょう。しばしば、そうやって英雄が誕生する神話もあります。
逆に帰ってこない場合もあったでしょう。そのため、大人の生存率が低くなり、多産になっていったのではないでしょうか。
では、突発的な非常時(火山噴火、津波)はどうしたのでしょうか?
これにもおそらく鳥がからんでいるのではないかと思います。というのも、そのような異常事態になれば、鳥たちも一斉に逃げ出します。その後を追って、脱出し、別の島までたどり着いたのではないでしょうか?
逆に、火山の噴煙によって島を見つけることもあったかもしれません。ハワイ等はそうして見つけた可能性があります。
彼らポリネシア人も、日本人同様、火山と地震との戦いを繰り返して生き延びてきたのでしょう。
以上のようにして、ポリネシア人は太平洋中に拡がっていったのではないでしょうか。
投稿者 jomon10 : 2011年03月26日 TweetList
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