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2008年09月21日

最初のアメリカ人とは?

現在のアメリカ人とは?と
問われると、白人、黒人、ネイティブアメリカン、インディオ、イヌイット・・・・・いろいろな人がいますね。
では、その中で最初のアメリカ人は?一体誰でしょう?
今まで、古代文明を扱ってきましたが、その文明の主体をなした人々の、祖先は一体どこから来たのでしょう。
そこで歴史をさかのぼり、アメリカ大陸の各遺跡の場所と年代を調べてみました。
さてそこから何が見えてくるか?
000a5ec9.gif
  アメリカ大陸への人類の移住
さて その前に
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定説ではアメリカ大陸へ旧大陸からはベーリング海峡を渡って移住したとされています。
しかも、それは簡単に行なわれたのではなく、大きな障害が2つありました。
1つはベーリング海峡ともう1つは北アメリカ全体を覆っていた巨大な氷床(ローレンタイド氷床とロッキー山脈にコルディエラ氷床が合体したもの)です。
この2つの障害が、同時に克服されないと、移住はできなかったといわれています。
まずベーリング海峡ですが、これは実は水深が浅く、氷期においては水面後退によって、干上がっていた。つまりベリンジアと呼ばれる平原であったことがわかっています。
マンモスやトナカイはこれを利用して両大陸を行き来していたわけです。
ところが氷期の終わりの1万7000年前から1万4000年ころまでに氷床は後退し、ロッキー山脈の東側に無氷回廊が出現しました。
同時にベリンジアは逆に海水に侵食され、1万3000年前には完全に水没しています。
つまり、この1000年間にモンゴロイドはアメリカ大陸へ移住したというわけです。
絶妙のタイミングだったというわけですね。
それゆえ定説によれば、1万4000年前にはアメリカ大陸に人はいなかったことになります。
さて、北方モンゴロイドと呼ばれる、われわれ日本人とも共通した祖先を持つモンゴロイドですが、
彼らはアメリカ大陸のアラスカ、カナダ、アメリカ合衆国、さらにメキシコ、ブラジル、チリの各所に遺跡を残しています。その遺跡の年代によって、いつそこにいたかがわかります。
代表的な遺跡の紹介です
アラスカ
1万4000年~1万3000年 アラスカのブロークンマンモス及び、ドライクリークⅠの遺跡

カナダ
1万8000年~1万4000年の可能性カナダブルー・フィッシュ洞窟群の石器の発見
1万4000年~1万2000年カナダクイーン・シャーロット諸島付近の海底の遺跡(石器)

アメリカ
1万4300年前 オレゴン州洞穴堆積物遺跡の人間の糞石(糞便の化石)・・これはつい最近発見された
1万3500年前 クローヴィス 尖頭器に代表されるクローヴィス文化の遺跡・・これが1番有名で新大陸における最初の文化遺跡と言われている
Clovis_Point.jpg クローヴィス 尖頭器
  ウィキペディア
チリ 
1万4500年前 モンテ・ベルデ遺跡 住居跡、石器など・・これは年代測定等について論争が起こっている
1万3000年 チリタグア・タグア遺跡魚尾形尖頭器、その他の石器
        フェルズ遺跡(パタゴニア) 、フエゴ島の遺跡

以上はモンゴロイドの遺跡とされていますが、これらの遺跡の年代が正しいとすると
定説とされている、年代よりも前に移住をしていることになりますね。
さらにこんな遺跡もあります
ブラジル 
5万年前 シェラ・ダ・カピバラの洞窟壁画、炭化物など(その中の人骨は9000~1万2000年前の物で
ニグロイドに似たものだった。しかも、オーストラリア先住民、アボリジニーの頭蓋骨と極めて近いとされています)・・BBCで遺跡の紹介が放映された

人類の拡散の歴史において、アフリカから出発し、旧大陸内においても、各地域へは必ずしも1つのルートだけでない可能性があります。北方モンゴロイドとしてバイカル湖付近に到達するルートも2つのルートがありえます。
ブラジルの遺跡の分析が正しいとすれば、海岸沿いに渡るルートが考えられます。しかし、5万年も前にどうやって?という疑問が残ります。
また、カナダのクイーン・シャーロット諸島付近の海底の遺跡(石器)は、海岸沿いに移住したとする説の根拠になっています。これが正しいとすると、無氷回廊の出現以前に移住が起こってもおかしくありません。
大半は、北方モンゴロイドが最初のアメリカ人であることの証左ですが、それでもまだまだ、わからないことが出てきそうです。
たとえば、現在の南米のインディオの顔つきは、北方モンゴロイドの特徴とかなり違いがありますが、これはボトルネック効果と呼ばれる、少数の集団が、隔離された環境下で、特異な方向に変異していくことで説明されていますが、ブラジルの遺跡の分析が正しいとすれば、それだけではないのでは?と疑問がわきます。
最近は、DNA解析に基づいた検証も進んでおり、次回はこのあたりを展開して行く予定です。

投稿者 dokidoki : 2008年09月21日 List  

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コメント

なるほど・・・。
司馬遼太郎は外圧という言葉を使って日本の国家統合の歴史を読み解いています。
外圧(近隣の攻撃諸国)=内圧(国家の結束力)によって国家が形成されたというのはなるほどと思わせる視点ですね。
そう考えると日本に限らず、全ての国家統合とは内圧の結晶であり、国家ができることであたらな外圧も生じる。まさに歴史とは、らせん状に外圧と内圧が高まっていったのがよくわかります。
日本史を見るときに必要なのはその時代ごとの外圧を見ていくことだ思います。外圧に抗じれなくなった国が滅亡していっている。百済はそうやって滅んでいったのでしょう。
日本が今でも諸外国から恐れられているのは並外れた結束力だといえます。しかしそれを外からでなく中から破壊しようとしたのがアメリカであり、その意味ではアメリカとは本当に恐ろしい国だと思います。
しかし現在、本当の意味での経済破壊という外圧が立ち上がっており、再び結束が始まっていると思われます。
それがこの間急速に立ち上がっている日本民族論に帰結します。
何の為に日本はできたのか・・・。
外圧に抗ずるため。
だから今、日本が面白い。

投稿者 tano : 2008年11月3日 14:33

tanoさん
>外圧(近隣の攻撃諸国)=内圧(国家の結束力)
内圧を加えるとわかりやすいですね。現代にも引きつけて応用できる。面白いです!
>日本が今でも諸外国から恐れられているのは並外れた結束力だといえます。しかしそれを外からでなく中から破壊しようとしたのがアメリカであり、その意味ではアメリカとは本当に恐ろしい国だと思います。
確かにそうだと思います。しかし、逆に日本の結束力が弱まった(弱くさせられた?)結果でもありますね。僕らは、外圧に向けて内圧を高めなければいけないと感じました。

投稿者 さーね : 2008年11月4日 23:20

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