2009年3月4日
2009年03月04日
高地性集落ってなに?
農業生産(稲作)には適さない山地の頂上や斜面に形成された集落を「高地性集落」と呼びます。
高地性集落の本当の姿はいまだに良く判っていない部分が多いのですが、「戦の備え」であったと見られています。
弥生の中期 北部九州から瀬戸内沿岸の高台や瀬戸内海の島に出現し、その後規模を拡大して 日本各地に伝播し、大和の勢力が強くなると共に消えていったようです。
この高地性集落の出現の変遷を見ると、鉄の輸入と何らかの関係があったようにも思えます。
日本の鉄の歴史は5世紀半から6世紀を境に大きな変化を迎える。
それまでの鉄は専ら、半島から鉄素材を輸入し、渡来人の鍛冶技術を注入して畿内、九州中心に鍛冶工房を営み、国内の鉄を調達していた。弥生時代には鍛冶工房は方々にあったが、まとまった製鉄施設は確認されていない。
鉄を制するものが天下を制す!
投稿者 yoriya : 2009年03月04日 Tweet