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2009年05月17日

「廃県置藩」のすすめ  ~中央集権vs江戸的システム~

明治以来日本は中央集権国家として突っ走ってきた。しかしそれは一方で様々な問題を生んでいるように思う。地方の衰退、官僚・公務員の肥大化とか、政治の世襲化とか、人々の無関心とか。
中央集権とは原理的にどのような問題を孕んでいるのだろうか?また、それに代わるシステムってあるのだろうか?

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内田樹さんの本に面白い視点があったので紹介したい。
「廃県置藩」のすすめ  より

 僕の意見はこうです。日本の近代化が成功した最大の理由は、藩閥体制で日本に二百七十個の藩があったこと、つまり、二百七十の小国が分立していたことです。
中国の華夷秩序は、国内でも同心円的な権力構造を作ってしまいます。だから常に強大な中央集権体制ができあがる。中心に巨大な絶対権力があって、ピラミッド状の位階制が構築される。政治権力も財貨も文化もすべて中心に吸い上げられ、中心から離れるにつれて権力も財貨も文化資本もまずしくなってゆく。そういう構造ですね。ときどき周縁から異民族が侵入して王朝をたてますけれど、必ず漢化して、中央集権的な帝国ができあがる。

 

でも幕藩体制はそうではない。江戸時代の三百年間、多少増減はありますが、二百十から二百七十の藩が日本にひしめいていた。藩というのは後代の名称で、当時は「国」といった。「国境」とか「お国自慢」とか「お国なまり」というときの「国」は「日本国」のことではなく、藩のことです。大は加賀百万石、伊達百万石から小は五万石、二万石という国もある。
 どこも国の中央に城塞がある。殿様がいて、ご家老様がいて、武芸指南役がいて、お茶の宗匠がいて、能楽師がいて、政商がいて、料理屋があって、特産品があって、地酒がある。スケールはそれぞれ違いますが、原則として自給自足している国がそれだけあった。それはつまり、治国の訓練をするための機会が二本中に二百七十あったということです。それが重要だと僕は思うんです。

中国は中央集権的・同心円的な権力構造を持ち、広大な領土と多数の国民を支配していた。日本の場合は細かい自己完結的なユニットに分割して、中心への資源の集中を防ぎ、結果的に国全体のパフォーマンスを上げていた。
実際に幕末に洋式軍隊を作る。軍艦を作る、製鉄所を作るという近代化プロセスは中央主導ではなく、藩毎に自主的に行なったのです。

以上 内田樹  『街場の中国論』 より
このように見てくると、中央集権は
①中央に絶対権力があり、全て中央へ吸い上げる。必然的に地方は貧しくなる。
②地方を統治するために官僚制度が必要となり、さらに自己利益を図るようになる。

それに対し江戸的システムは
①藩や村落共同体といったこれらの小集団が独立しながら、各地に自給自足的に存在していた。
②その結果、成員の当事者意識が高くなり、一人一人の活力を高め、結果的に国全体のパフォーマンスを高めた。幕末の危機に際しても敏感に察知できた。

明治維新による中央集権化により、国力をつけ、日清・日露戦争に勝ち抜いたと通説では言われる。
しかし実際は、中央集権化が進むほど官僚制が硬直化していったし、その結果柔軟な判断もできずに太平洋戦争で惨敗を喫したし、戦後は政治もなにか自分たちと縁遠いような感じになって、投票率も食糧自給率も下がっていく。さらに最近の検察etc官僚機構の暴走は目にあまる。
これらは、中央集権が持つ制度的な欠陥と考えられる。
内田樹さんに付け加えて言えば、参勤交代制も学ぶべき点ではないだろうか?各地の小集団から派遣され、統合機関で働き一定期間で交代する。こうすれば、官僚の自己閉鎖・硬直化が防げる。これにさらにインターネットのオープンなシステムを組み合わせたら面白くなる。
このように江戸システム(独立集団が各地に存在し、参勤交代の官僚交代制で硬直化を防ぐ)は、次代のシステムの大いに参考になる。鎖国経済モデルと併せて検討できるのではないだろうか?
関連記事
るいネット:「突破口は鎖国経済モデル」

投稿者 ihiro : 2009年05月17日 List  

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コメント

初めまして~!
奈良に生まれて31年ずっと奈良に住んでおり、今は魚の研究とかをしていますw
うちの研究室は奈良の大和川水系の魚類についても研究しているのですが、川や地史的な知識には非常にうといところがあります。
古代の地図があったのですごく興味深く見させていただきました。
もし、よろしければ、地史に関する文献を紹介して頂けないでしょうか?
どうぞ、よろしくお願い致します。

投稿者 こう : 2009年7月7日 09:40

いや~、わかりやすい文章でした。
カンドー。(まず、これ)
わたしは河内に住んでおり、日々葛城山・金剛山を仰ぎながら
暮らしています。確かに日帰りハイキングのコースとしては快適なのでですが、わざわざ住み着くかー?というのがずーっと疑問でした。葛城氏に対する興味はその1点に集約されていると言ってもいいくらい。
葛城氏はもともと朝鮮半島の海洋系が瀬戸内海ルートで日本に上陸したと理解しているので、アンタは海やろ、なんで山やねん、と思っていたのですが・・、氷解。
海であろうが川であろうが山であろうが、「利を制す」ということを貫徹した、ということですね。
久々に葛城山に登ろうかな、と思いました。
次は、蘇我だな、やっぱり。

投稿者 うきゃきゃ : 2009年7月9日 10:50

これは鮮やかな視点ですねー
自然の摂理が最も大事だと感じます。実は、縄文時代もその意識は違いますが、川や海,山が必ず関係しますね。
やはり、歴史では自然圧力を対象化するという視点が重要だと感じる記事でした!^^

投稿者 さーね : 2009年7月9日 22:06

こうさんへ。コメントありがとうございます。
私はこの課題でカナさんと一緒に勉強しているものですが、
こうさんのリクエストである古地図などに関する地史の文献はまだ私たちも多くは探し出せていません。
ただ、古代史の豪族支配の勉強をしているうちに大和の水系は広域で繋がっていた事がわかってきています。
それに気が付く事ができた本がこのブログでも紹介している田中八郎氏の「大和誕生と水銀」http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-88202-877-2.htmlという本です。
中には古地図もあり、大和在住の方が引き継がれた土着の神話や自身の経験を踏まえて書かれた面白い本です。
ぜひ一度手にとってみてください。

投稿者 tanoyan : 2009年7月11日 22:13

⇒こうさん
コメントありがとうございます☆
返信が遅れてしまい申し訳ありません。
tanoさんの紹介して頂いた本はとっても興味深いので、一度読んでみてくださいね♪

投稿者 カナ : 2009年7月14日 19:05

⇒うきゃきゃさん
>いや~、わかりやすい文章でした。
カンドー。(まず、これ)

本当にこの言葉嬉しいです!!涙
ありがとうございます☆☆☆
私もなんであんな山奥やねん!ってすごい気になっていました。すごい気付きですよね!まさに氷解です!

投稿者 カナ : 2009年7月14日 19:08

⇒さーねさん
コメントありがとうございます☆☆
>やはり、歴史では自然圧力を対象化するという視点が重要だと感じる記事でした!^^
ホントですね~!
現代人が自然が脅威と感じることなんか、ほとんどありませんが、古代人はそうではないですもんね!
歴史の人物に同化する事が大切ですね♪♪

投稿者 カナ : 2009年7月14日 19:13

⇒tanoyanさん
フォローありがとうございます♪
この本はほんとおススメですよね^^☆☆

投稿者 カナ : 2009年7月14日 19:15

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