| メイン |

2015年01月22日

地域再生を歴史に学ぶ~第5回 共同体にとって自由とは何か

前回の記事では惣村の成立過程を見ていく中で徴税の話や平民とお上の関係を見てきました。律令制の様々な矛盾の中で平民が団結し共同体=惣村を作り上げた、これを中世日本の共同体再生として固定しました。

では共同体再生以前は共同体はなかったのか?そこが疑問が出る所でもありますが、私はあったと思います。勿論、惣村のように掟を決めたり、自前で組織を運営するような行動性はありませんが、生きる基盤としての共同体社会は惣村が出来上がる以前にも連綿とあったのではないでしょうか?

今回はそれを示す為に納税と自由というキーワードで奈良、平安時代頃の人々の意識を見ていきたいと思います。納税や自由という概念を古代の人々は現代の人々とは全く異なって捉えているのです。それらを捉える上で背後の共同体を基盤とした世界があるのです。参考にさせていただいたのは今回も網野義彦著の「列島の歴史を語る」です。

【納税は強制ではなく自発的意思であった】
奈良時代に律令制が始まると庶民は田地が与えられるのと同時に重い徴税を受けます。隋から輸入した租庸調ですが、いずれも米や布、貴重品などをお上に納めます。祖は米が中心で地域を仕切る領主の倉に納めます。さらに庸調は日本中から朝廷のある京や奈良まで遠路はるばる自前で運んで届けなければなりません。移動には数週間から数ヶ月要する事もあり、手弁当で移動するため途中で餓死する事もあったそうです。非常に重い負担でしたが、当初の律令制が少なくともほとんど手を加えられることなく100年は続いたという事からして庶民は納得ずくで従っていたと思われます。網野氏はこの租庸調を自発的意思であったとしています。soyoutyou

 にほんブログ村 歴史ブログへ

>庸・調というのは中央に送られますが、輸送をするのは一般の公民です。負担したものを運んでいく人を「運脚」といいますが、食料は自弁というのが原則です。あっさりと食糧自弁と書いてあるのですが、考えてみると武蔵から運んでいる運賃と近江から運んでくる運賃とでは開きがあるはずです。ところがその旅費の巨大な違いについて、律令国家は負担に格別の配慮をしなかった。私はものすごく不思議に思いました。どうしてこれで遠いやつは文句を言わなかったのだろうかと思うのです。(中略)

いまから考えるときわめて不合理な負担体系ですね。現在だったら、必ず文句が出る。にもかかわらず、そういう負担体系が少なくとも100年以上なんら修正されることなく遠いところにちょっと手心が加えられただけで維持されてきたとしたら、調・庸負担の本質はやっぱり考え直す必要がある。私が考えている方向性を申しますと、単純に強制によって出しているのではないだろう。そうとしか考えられないのです。つまり、調・庸というのは「持っていかなければならないもの」という意識が持っていく側になければ、こんな体制を維持することはできるはずがないという方向に考えが向かっていくわけです。(中略)
そこは一般平民の自発的意思というものをどうしても入れて考えざるを得ない。

負担することの一つの大きな要因は、中世ではっきりしていまして、年貢を未進すると自分自身を身代にして債務奴隷になるのです。そうなると共同体のメンバーの成員権を奪われてしまう。古代では証明できない事ですが、共同体のメンバーでなくなってしまうという事があったのではないかと思っています。(中略)
誤解を受けやすい事ですが、私は古代の公民は自由民であった、自由ということを隷属民ではない共同体の成員であるという点に求めて、自由民であった、と主張したいのです。そういう意味の自発性のようなものが、国家の体系を支えていたのです。~網野氏著書より

年貢は「上分」として神社などに一部が納められます。
日本での最初の徴税は「初穂」と呼ばれ、稲の苗を朝廷からいただく代わりに品物を納めるわけです。神物だから踏み倒すわけにはいかない、どうしても返済しないといけない。
負担の自発性を支える要因に上記の公民の自由と、神様に捧げるといった両方の意識があったように思います。これは結構現在でも残っていて、納税について人々の抵抗感は意外と強くありません。税は必要なもの、捧げるものという意識は共同体社会となんらか繋がっているのかもしれません。

【共同体にとっての自由とは何か】
上記の紹介の中に既に自由について書かれていますが、網野氏の示す日本人が本来持っている“自由”の意味は押さえて置く内容です。現在でこそ自由はよい意味で使われますが、欧米から輸入した個人、自由という概念に当初日本人は釈然としない感覚を持っていました。

>日本語の自由というのは、自由勝手といいますかマイナス評価がどうしてもついているんですね。自由主義というのはマイナス評価ということになり得るわけです。
有名な話ですが、柳田国男が明治になって自由、自由になって、博徒が家の前にやってきて酔っ払って寝ているので何かをしようとしたら、ここで寝るのが自由の権だと言うのを聞いてから、自由民権に対して、イヤな感じを持つようになったという事がありました。それと同じような語感が日本人の中にあるようですね。
だから自由というと移動もできるし、何でもできる。そういう状態にないやつは全部自由を制約されている、だから日本の社会には自由民というのはどこにもいなかったという話になってくるのが根底にあるような気がします。~網野氏著書より

網野氏は以下のように日本人が本来捉えているであろう「自由」を定義しています。

>日本で自由という言葉そのものの意味が決してヨーロッパで使われている自由とは同じでないということです。自由とは共同体の成員権のことです。公への負担を出して共同体で一人前だという感覚の事です。年貢廃棄闘争は日本史では一つもありません。公に奉仕するという意識が、日本の場合、自己の自由を保障する形になっているのです。~網野氏著書より

網野氏は近代的自由を窮屈な「島のごとき自由」と言っています。
逆に言えば共同体の成員である自由とは広がった自由でしょうか?社会的な存在で居られる、自ら考え、主体的に行動できる自由という事だと思います。律令制の体制に移行する中で日本人は“共同体としての存続”=“本来の社会的自由“だけは勝ち取っていったのではないでしょうか。

投稿者 tanog : 2015年01月22日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2015/01/2699.html/trackback

コメント

網野史学の凄さは中世の社会の仕組みについてのことが参考になります。
北海道の同人誌「人間像」の主宰者福島昭午さんが網野史学の信奉者です。

投稿者 根保孝栄・石塚邦男 : 2015年10月31日 13:48

コメントしてください

*