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2009年05月23日

日本史上に現れる “海の勢力・陸の勢力”

古代からの日本史を眺めていると、ごく大雑把ではありますが“海の
勢力
”と“陸の勢力”とでも言う勢力が繰り返し現れています。

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<古代>
・東南アジア、東シナ海から日本周辺の海までを棲み家とした倭人勢力
海人の系統と言われる、豪族:葛城や須佐(出雲)、
騎馬系と言われる物部、大友、蘇我
<中世>
・東国で騎馬を駆使した盗賊の横行と独立国を目指した平将門
・西国で海賊の叛乱と、藤原純友
・海賊の領主を組織化した平家
・関東の陸の勢力をまとめた源氏
・源氏が政権をとった後、東シナ海周辺を荒らしまわった海賊“倭寇
isan_phIS012.jpg       uma-katakui.jpg
平家の神社:厳島神社            平将門の系統の家紋
<近代>:おもしろい事に近代もこの傾向は残りつづけ
・海軍を握った薩摩閥(元は倭人の一派隼人族)
・陸軍を握った長州閥(元は?)
このように見てくると、大きくは海の勢力=倭人系(ルーツは中国大陸の呉越)、陸の勢力=騎馬系(ルーツは大陸の騎馬民族)というように考えられるのではないだろうか?
ただ、武士の登場で勢力争いが次第に陸上戦主体になっていくことで戦国時代には、性格が明確でなくなっていく(それでも武田の騎馬軍団や各地に水軍が残っている)。
この陸の勢力と海の勢力の勢力圏が特に明確になったのが、平安末期の頃、

9世紀末から10世紀にかけて、「日本国」の東部では、東海・東山両道に「僦馬(しゅうば)の党」と呼ばれる騎馬の軍団が横行し、西部では瀬戸内海を舞台にする「海賊」が蜂起する騒然たる状況が、各地域で起こっていたが、やがて10世紀前半、承平から天慶にかけて、西には藤原純友の大叛乱が起こり、東には平将門が自立した国家を建てるに至った。
>そして将門が北東アジアの動きに目を向けていたのに対し、純友の目が朝鮮半島から中国大陸に向けられていたことは間違いないと思われる。

  『「日本」とは何か』 網野善彦氏より
陸の勢力は、北東アジアと結んで東国政権を目指し、海の勢力は列島外と結びついて独自の政治勢力を形成していた。
この動きは平家や源氏に引き継がれる。

伊勢湾の海の世界から姿を現し、院の厩の別当となって淀川流域の牧を支配下に入れ、瀬戸内海の要衝、たとえば厳島や伊予国を拠点にして海の領主たちを組織、大宰府を中心に北九州を抑えた平氏は、王朝の権力を掌握してその支配を太平洋・日本海沿岸の東国・北陸諸国にのばす一方、列島外と結びついた瀬戸内海・北九州を舞台として中国大陸の宋との貿易を積極的に進めた。 

 『「日本」とは何か』 網野善彦氏より
これに対して、源氏は関東の騎馬軍団を勢力に組み込みつつ、東国の王権としての地位を固め平家に対抗していく。
このように見ていくと、後に徳川家康が鎖国をしたのも、東アジア諸国と結びつきのある西国の海の勢力を抑えるためだったのかもしれない。
(by Hiroshi)

投稿者 ihiro : 2009年05月23日 List  

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コメント

>実際に、言葉そのものに”力”が宿っているかどうかはともかく
実際に言霊を駆使する現場に居合わせた経験から
申し上げれば、これはとっても恐ろしい世界です。
言葉とゆうよりも、音といいますか、響きといいますか、
知らぬが仏、嘘も方便、人間社会を平穏に
過ごすための最高の教えだと納得させられたものです。
>今でも、鋭い要求・追及を続ける欧米人に対して、言葉を濁す日本人は交渉において常に負け続けている。
面白い話しがあります。中国知識人が米国に留学し
帰国すると、舌鋒鋭くどんどん議論をけしかける
ようになり、日本を留学先にすると、まず議論を
けしかけることはなく、結論も皆にあわせるように
なるとのことです。
古代の渡来系の皆さんも、日本体質にのみこまれた
んでしょうね。その意味で、日本も相手を飲み込む
恐ろしい国といえます(笑)

投稿者 スバール : 2009年6月24日 00:05

こんにちは~^^
>だから、人間の場合、観念機能の使い方・使われ方によって、意識(また存在)が規定される。

なんとなくそんな経験あるけど、ちゃんと気づいてた縄文人ってすごいですね!!
これ、良いように使いたいです♪
(やっぱり悪いことは口に出さない縄文体質。笑)

投稿者 カナ : 2009年6月24日 02:49

言霊信仰大変面白く読ませていただきました。
はっきりと物を言わない民族=「言挙げしない国」という捉え方はあると思いますが、私は日本人の言葉に対する認識はプラス側に捉えたいです。
俳句、短歌など短い言葉で多くの情報を伝える。
まさに言葉を大切にした民族の遺産だと思います。
多くの言葉を使い口から泡を吹き出してまで議論し伝えようとする欧米人に比べ、言葉を大切にし、少ない言葉で相手に多くの事を伝えようとする日本人。そちらが大切に言葉を使っているかは明らかだと思います。
ただ、それが日本という共認域の中だけで実現してきたわけで、これからの時代、どうやって諸外国と共認していくか・・・それは確かに、ないとう@なんで屋さんの言うようにこの体質が弱点になっていることは確かです。
ただこれからの外交にとって必要なのは交渉なのか(事実)共認なのか、そこの変化も見極めていく必要があるのではないかと思いますが。

投稿者 たぬきざる : 2009年6月26日 00:30

文中の柿本人麻呂の歌ーー「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」の、‘言挙げせぬ’、は、‘~せず’、ではなく、‘~せん’、で、つまり、“「葦原の 瑞穂の国(大和朝廷)は 神代からのことばを紡ぐ国 である”、という風に解釈すべきではないでしょうか。
おそらく、神社で唱えられる祝詞の歌い出しも同じ様なもので、“これは、神のことばである”という様な意味の前置きなのだと思います。
神道の信者が「神道は言挙げせず」と云っている、ということは私は知りませんが、
この本文の主張を導くのに、人麻呂の歌を持ち出すのは、反対の意味にもなってしまうのですから、相応しくないと思います。

投稿者 五節句 : 2009年6月26日 20:23

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