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日本史上に現れる “海の勢力・陸の勢力”

Posted By ihiro On 2009年5月23日 @ 7:20 PM In Ⅳ日本中世 | 4 Comments

古代からの日本史を眺めていると、ごく大雑把ではありますが“海の
勢力
”と“陸の勢力”とでも言う勢力が繰り返し現れています。


<古代>
・東南アジア、東シナ海から日本周辺の海までを棲み家とした倭人勢力
海人の系統と言われる、豪族:葛城や須佐(出雲)、
騎馬系と言われる物部、大友、蘇我
<中世>
・東国で騎馬を駆使した盗賊の横行と独立国を目指した平将門
・西国で海賊の叛乱と、藤原純友
・海賊の領主を組織化した平家
・関東の陸の勢力をまとめた源氏
・源氏が政権をとった後、東シナ海周辺を荒らしまわった海賊“倭寇
isan_phIS012.jpg [1]       uma-katakui.jpg [2]
平家の神社:厳島神社            平将門の系統の家紋
<近代>:おもしろい事に近代もこの傾向は残りつづけ
・海軍を握った薩摩閥(元は倭人の一派隼人族)
・陸軍を握った長州閥(元は?)
このように見てくると、大きくは海の勢力=倭人系(ルーツは中国大陸の呉越)、陸の勢力=騎馬系(ルーツは大陸の騎馬民族)というように考えられるのではないだろうか?
ただ、武士の登場で勢力争いが次第に陸上戦主体になっていくことで戦国時代には、性格が明確でなくなっていく(それでも武田の騎馬軍団や各地に水軍が残っている)。
この陸の勢力と海の勢力の勢力圏が特に明確になったのが、平安末期の頃、

9世紀末から10世紀にかけて、「日本国」の東部では、東海・東山両道に「僦馬(しゅうば)の党」と呼ばれる騎馬の軍団が横行し、西部では瀬戸内海を舞台にする「海賊」が蜂起する騒然たる状況が、各地域で起こっていたが、やがて10世紀前半、承平から天慶にかけて、西には藤原純友の大叛乱が起こり、東には平将門が自立した国家を建てるに至った。
>そして将門が北東アジアの動きに目を向けていたのに対し、純友の目が朝鮮半島から中国大陸に向けられていたことは間違いないと思われる。

  『「日本」とは何か』 網野善彦氏より
陸の勢力は、北東アジアと結んで東国政権を目指し、海の勢力は列島外と結びついて独自の政治勢力を形成していた。
この動きは平家や源氏に引き継がれる。

伊勢湾の海の世界から姿を現し、院の厩の別当となって淀川流域の牧を支配下に入れ、瀬戸内海の要衝、たとえば厳島や伊予国を拠点にして海の領主たちを組織、大宰府を中心に北九州を抑えた平氏は、王朝の権力を掌握してその支配を太平洋・日本海沿岸の東国・北陸諸国にのばす一方、列島外と結びついた瀬戸内海・北九州を舞台として中国大陸の宋との貿易を積極的に進めた。 

 『「日本」とは何か』 網野善彦氏より
これに対して、源氏は関東の騎馬軍団を勢力に組み込みつつ、東国の王権としての地位を固め平家に対抗していく。
このように見ていくと、後に徳川家康が鎖国をしたのも、東アジア諸国と結びつきのある西国の海の勢力を抑えるためだったのかもしれない。
(by Hiroshi)


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