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2010年03月30日

中央集権から封建制へ(農民の武装化と地方市場の拡大)

「ポスト近代市場の可能性を日本史に探る」シリーズ9回目です。
前回は、日本を覆う外圧の低下→それに伴う中央集権体制の瓦解→地方(受領)の暴走→武士の台頭という大きな流れを見てきました。今回は、武士の台頭という現象を、農民の側からおさえ直し、この武士階級の台頭と中世の市場拡大の関係を考えてみたいと思います。

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【中央の貴族寺社勢力(荘園)と地方官僚(受領)の農業経営競争がもたらした市場拡大】
中世における農民たちの自衛化・武装化を考えるうえ上では、土地制度の変遷を抑えておく必要があります。

8世紀初頭、大陸の動乱という大きな外圧に晒されていました。白村江の戦いで唐に敗れた日本は、唐及び隣国の新羅からの侵略を警戒し、中央集権制の強い国家を目指して、大宝律令(701年)を制定し律令制度(公地公民)を推し進めます。

そして戸毎に人民を把握する戸籍制度(籍帳支配)を取り入れ、またそれに基づいて班田収受(法)を制定します。つまり人民の把握=兵役の強化と、徴税の徹底を図っていきました。しかし、農民に課される租・調・庸・雑徭・出挙・兵役などの負担(参考:■班田収受による負担)はかなり大きなもので、凶作になったり、農民が病気になったりすると、たちまち生活が破綻してしまいます。

農民は負担を逃れようと偽籍を行ったり、労働に耐えかねて逃げ出す農民が後を絶たず、班田収授の実施も難しくなっていきます。この農民の浮浪や逃亡の増加は、国家財政を直撃し、さらに口分田の荒廃を引き起こしましたが、これに対して朝廷は、再度、中央支配を高めようと現地派遣の筆頭国司である受領に租税納入を請け負わせる国司請負への移行させました。

と同時に、朝廷は743年に墾田永年私財法を出し、開墾した土地は永久に私有することを認めます。外圧低下によって肥大した貴族たちの快美欠乏に応えるには、自力による私有権拡大を認めるしかなかったという事になりそうです。
これによって、貴族や寺社は自前で地方豪族(地元農場主)と手を組み、口分田を逃げだした農民たちを使って、新たな田畑の開墾(私有地拡大)を行っていきます。=荘園の拡大です。

■朝廷の徴税を免除される荘園
【複雑な土地制度「荘園制」の天皇制存続の関係】より~
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つまり、一方で地方官僚の裁量権を拡大させ、他方で、中央貴族や寺社勢力による自力の荘園経営=土地私有を認めたわけです。この地方官僚と貴族寺社による荘園の双方が平安から中世に至る農業経営の競争圧力を形成しました。それによって実際、農業の生産性は上昇していきます。鎌倉時代後期は、鉄製農機具の普及とそれを使った牛馬耕により、二毛作を実現しています。

大陸からの動乱外圧の低下した平安な時代ゆえ、中央の貴族寺社勢力(荘園)及び地方官僚(受領)の双方が競い合うように、富の拡大競争を行っていった結果が、平安から中世へと至る市場拡大を導いたと言えるのではないでしょうか。

【上からの統合(徴税)期待と下からの統合(縄張り闘争平定)期待→封建体制へ】
しかし、対外的には平安であっても、貴族寺社勢力(荘園)と地方官僚(受領)の農業経営競争は国内における縄張り争い=戦争の火種をも生み出しました。特に水田農業は単純に区画された農地さえあれば経営できるものではなく、必然的に公共財である水利権を巡る争いへと発展していきます。

■農耕用水路の開発風景
【文覚井(もんがくゆ)(中世農耕用水路跡)】より~
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受領(国司)との対立、水利権などの境界紛争・戦乱や盗賊からの自衛を契機にして、各地で成長した荘官や開発領主(有力農民)は、勢力を拡大するために武装を行うことになります。

こうして、もともと縄文以来、贈与関係(婚姻制度を含む)を通じて近隣集落とは縄張り緊張の緊張緩和を図ってきた日本の地域共同体も、武装蜂起することで自集団を守るという段階へ移行していくことになりました。所謂、惣村の誕生です。しかし、乱世の時代はいつまでも続くものではありません。勝ち抜き戦の戦国時代を経て次第に、各惣村の自治権を認めた社会を構築する統一機運が高まっていきます。
勿論、中央の貴族寺社勢力も既得権を手放したくはないとはいえ、いつまでも戦乱が続いては、自らの欠乏の中核である快美欠乏を充たすことも出来ません。しかも有閑階級である貴族勢力は自ら返り血を浴びる覚悟はなく、死を穢れと忌み嫌うため、死を恐れない武士には実質的に従うしかなくなります。

こうして、中央貴族階級発=上からの統合期待(その内実は徴税期待)と、農村発=下からの縄張り闘争平定期待の交点に、武士階級による社会統合=封建体制が実現されていったのです。

そして、この戦乱とそれを乗り越えた封建体制の形成というプロセスを通じて市場拡大はますます進展していくことになります。

投稿者 yoriya : 2010年03月30日 List  

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コメント

◎以下の2つは記事に書かれてある重要ポイントです。この点は市場とは何かを押さえる上で常に念頭においておきたい事実ですね。
採取部族間の友好維持の為の贈り物と、私権利益を獲得する為の交換とは、共に共生(取引)適応の一種ではあるが、その発生基盤は片や共認原理、片や私権原理と全く異なっており、従って、贈り物は、決して私権時代の市場の起源なのではない。だから、「贈与」と「交換」は、厳格に区別されなければならない
生活必需品の物々交換が市場の起源であるという話も、真っ赤な嘘であって、生存上の必需品を他部族に委ねる部族など存在しない。その様な物々交換は、市場(関係)がある程度日常的に存在する様にならない限り成立し得ないのであって、従って、市場の真の起源は、私権闘争の抜け道としての、快美幻想の共認、もっとはっきり言えば「騙し」をテコとする私益行為以外には考えられない。
現在市場に関わる誰しもが、この騙しのテコを使っているのだろうか?・・・と言われると答えに窮しますね。あるいはピンと来ない。
契約どおりやっているのだから・・・。
価格を決めてその上で取引しているのだから・・・。
そのような反論は直ぐに思い浮かびます。また市場がもしなければ多くの人はたちまち困る。これも正論でしょう。
騙しで始まった市場がなぜ現在必要不可欠なものになってしまったのか?その解明は別途必要に思います。

投稿者 tano : 2010年6月20日 14:02

市場の発生の起源が「騙し」であるというのはそうかもしれません。
それは「幻想共認」がベースになっているので、幻想によって高価な物と思い込んでしまえば高く買うわけだし、自分はそれを納得したんだと思い込むようになる。
そう思い込ませること自体が”騙し”そのものなのですからね。
一方売る側も、そのような価格格差のあるものを扱うほど利益が上がることを覚え、それが当たり前になってしまえば、互いに納得ずくと思って交換をする。
このように市場の住人になった(された)こと自体が、”騙し”の罠にどっぷり嵌ったということだと思います。

投稿者 火の鳥 : 2010年6月22日 22:46

究極の騙しの構造とは騙す側も騙される側も気がつかないという部分にあるようですね。
しかし最近の若者のように欲しい物がない、とか「もったいない」、ブランドは痛いなどという新しい潮流が出てくる事は既にこの市場の騙しの構造に気がついているのかもしれません。
後は騙す側がこれは騙しだと気がつくかどうかですな。

投稿者 tano : 2010年6月23日 01:40

tanoさん、火の鳥さん
返信が遅れて申し訳ありませんでした。
>究極の騙しの構造とは騙す側も騙される側も気がつかないという部分にあるようですね。
これまで、騙し側(欧米の証券会社等)の論理【「商品取引は、全て自己責任である。⇒これが自由競争社会の原則である。要するに「騙される方が悪い」】が通用していましたが、あの米国でもリーマンショックを契機に社会倫理(社会を維持する為の倫理規範)に反する行為は、バッシングを受けるようになって来たと思います。
刑事裁判としては、告発できなくても民事裁判で告発して責任を追及する風潮が出ているようです。

投稿者 ryou : 2010年7月15日 22:20

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