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「廃県置藩」のすすめ  ~中央集権vs江戸的システム~

明治以来日本は中央集権国家として突っ走ってきた。しかしそれは一方で様々な問題を生んでいるように思う。地方の衰退、官僚・公務員の肥大化とか、政治の世襲化とか、人々の無関心とか。
中央集権とは原理的にどのような問題を孕んでいるのだろうか?また、それに代わるシステムってあるのだろうか?


内田樹さんの本に面白い視点があったので紹介したい。
「廃県置藩」のすすめ  より

 僕の意見はこうです。日本の近代化が成功した最大の理由は、藩閥体制で日本に二百七十個の藩があったこと、つまり、二百七十の小国が分立していたことです。
中国の華夷秩序は、国内でも同心円的な権力構造を作ってしまいます。だから常に強大な中央集権体制ができあがる。中心に巨大な絶対権力があって、ピラミッド状の位階制が構築される。政治権力も財貨も文化もすべて中心に吸い上げられ、中心から離れるにつれて権力も財貨も文化資本もまずしくなってゆく。そういう構造ですね。ときどき周縁から異民族が侵入して王朝をたてますけれど、必ず漢化して、中央集権的な帝国ができあがる。

 

でも幕藩体制はそうではない。江戸時代の三百年間、多少増減はありますが、二百十から二百七十の藩が日本にひしめいていた。藩というのは後代の名称で、当時は「国」といった。「国境」とか「お国自慢」とか「お国なまり」というときの「国」は「日本国」のことではなく、藩のことです。大は加賀百万石、伊達百万石から小は五万石、二万石という国もある。
 どこも国の中央に城塞がある。殿様がいて、ご家老様がいて、武芸指南役がいて、お茶の宗匠がいて、能楽師がいて、政商がいて、料理屋があって、特産品があって、地酒がある。スケールはそれぞれ違いますが、原則として自給自足している国がそれだけあった。それはつまり、治国の訓練をするための機会が二本中に二百七十あったということです。それが重要だと僕は思うんです。

中国は中央集権的・同心円的な権力構造を持ち、広大な領土と多数の国民を支配していた。日本の場合は細かい自己完結的なユニットに分割して、中心への資源の集中を防ぎ、結果的に国全体のパフォーマンスを上げていた。
実際に幕末に洋式軍隊を作る。軍艦を作る、製鉄所を作るという近代化プロセスは中央主導ではなく、藩毎に自主的に行なったのです。

以上 内田樹  『街場の中国論』 より
このように見てくると、中央集権は
①中央に絶対権力があり、全て中央へ吸い上げる。必然的に地方は貧しくなる。
②地方を統治するために官僚制度が必要となり、さらに自己利益を図るようになる。

それに対し江戸的システムは
①藩や村落共同体といったこれらの小集団が独立しながら、各地に自給自足的に存在していた。
②その結果、成員の当事者意識が高くなり、一人一人の活力を高め、結果的に国全体のパフォーマンスを高めた。幕末の危機に際しても敏感に察知できた。

明治維新による中央集権化により、国力をつけ、日清・日露戦争に勝ち抜いたと通説では言われる。
しかし実際は、中央集権化が進むほど官僚制が硬直化していったし、その結果柔軟な判断もできずに太平洋戦争で惨敗を喫したし、戦後は政治もなにか自分たちと縁遠いような感じになって、投票率も食糧自給率も下がっていく。さらに最近の検察etc官僚機構の暴走は目にあまる。
これらは、中央集権が持つ制度的な欠陥と考えられる。
内田樹さんに付け加えて言えば、参勤交代制も学ぶべき点ではないだろうか?各地の小集団から派遣され、統合機関で働き一定期間で交代する。こうすれば、官僚の自己閉鎖・硬直化が防げる。これにさらにインターネットのオープンなシステムを組み合わせたら面白くなる。
このように江戸システム(独立集団が各地に存在し、参勤交代の官僚交代制で硬直化を防ぐ)は、次代のシステムの大いに参考になる。鎖国経済モデルと併せて検討できるのではないだろうか?
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