縄文体質を切開する8~「考えない日本人」とこれからの可能性は |
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2010年05月15日
ポスト近代市場の可能性を日本史に探る~通史的まとめ(後編)
引き続き市場史シリーズまとめ(後編)をお届けします。
○以下は近世の論考です。
○ブログ記事より( )内は担当した会員です。
⑨幕藩体制→参勤交代制が可能にした江戸時代の経済発展 (ないとう)
⑩鎖国とはなんだったのか?~鎖国政策の原点、秀吉のバテレン追放令を読む (怒るでしかし~)
⑪鎖国が生み出した江戸の自給自足経済、自然循環型社会 (怒るでしかし~)
⑫幕藩体制の崩壊と開国~カネを哂うものはカネに泣く~ (うらら)
⑬鉱山開発と三貨制度~家康はどのようにして近世管理市場を構築しえたのか? (怒るでしかし~)
○以下はるいネット掲示板での論考です。
封建制が近代市場社会を生んだ3(商業権力を制御した江戸システムの可能性)
戦国時代の制覇力は経済力か?~楽市楽座より~
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●重商主義と重農主義の間で揺れ動いた鎌倉・室町の武家政権を経て、生まれた江戸の管理市場
寺社勢力によって拡大する平安後期から中世において、渡来銭の流通が拡大していく。鎌倉幕府は最初は銭の普及を進めたものの、その後、貨幣経済化にストップをかけた。銭が流通しだすと、租庸調に納めるものは粗悪品となり、質のいいものは市場に出すようになったからだ。また武士の台頭は、博打経済を拡大させ、イザコザが増えた。そこから博打禁止と金利規制、そして徳政令が始まった。室町(足利)幕府は、対中貿易を進め、大量の銅銭を輸入し、財政政策としても金融促進を進めると同時に、土倉、酒屋を寺社勢力から切り離して、徴税の対象にした。また新興の禅寺の各付けを上げてやることで、禅宗を抱き込んで、ここから収益を上げていった。(重商主義)しかし、こうした貨幣経済の急速な進展は、農民経済の混乱を呼び一揆が起こる。こうして戦国時代へと移行していく。戦国の世を勝ち抜くには、兵士集団を食わせる莫大な糧が必要となり、更には先進武器、鉄砲が必要となった。戦国時代を終息させた秀吉は、貨幣力の恐ろしさを知っていた。貨幣よりも土地→年貢としての米を重視し、検地を行い、石高制を始めた。重農主義である。家康は、秀吉の石高制をベースとした上で、秀吉の資産を引き継ぎ、更には銀山開発を進めることで、貨幣発行権も掌中に納めた。重商主義と重農主義で振り回されてきた武家政権の反省を踏まえて、ついに徳川幕府は管理市場を構築したのだ。
写真は今回の参考書のひとつ川勝平太「富国有徳論」。西洋の「産業革命」と対比して江戸文明の本質を「勤勉革命」にある、とする川勝氏の視点は本質をついている。
●縄文以来の共同体が保持されたことが近世管理市場の基盤となった。
西洋では、古代において金貸しを蔑視する風潮があったものの、中世以降、急速に金貸しが力をつけていった。十字軍以降の略奪を契機に世界的にも例のない持続的な経済成長を達成した西洋では、人々の中に無制限な自我・私権の追求を是とする意識潮流が形成されていった。西洋の資本権力が大衆を見方につけたことで国家権力も、市場主義を是とするしかなくなっていった。その背後には、土着的な共同体集団が略奪に次ぐ略奪を経てバラバラに解体され、誰も信用できないという西洋人の自我のあり様が関わっている。つまり共認の破壊度(=自我の確率度)が個人自我のレベルにまで到達しているため、自我を抑圧する武力支配よりも、自我を肯定する金貸し支配を是としたということである。
それに対して、日本では、土着共同体は渡来の支配階級をその先進性故に受け入れ、他方、支配階級の側もこの土着共同体を解体することなく融和したため、共同体が保持された。中世になって、自集団を守るためには他集団の殲滅をいとわないという惣村が登場するものの、それにしても集団自我に止まるものであり、人々は共同体である惣村の成員に対して自我をむき出しにすることはなかった。(むしろ村八分に代表されるように、個人自我には徹底した抑止力が働いていた。)また飢餓ゆえに農村を離れ都市へと流入した難民たちも、仏教教団を核とした共同体をつくりだし、商人ですら株仲間etcの業界団体を形成していく。つまり、日本は西洋と違って、自我は集団自我に止まることで、無制限な自我・私権の追求を是とする意識潮流が形成されることはなかった。鎌倉宗教の代表である真宗において「悪人ですら救われる」とされるのは「教団内においては自我に拘ることなく共認充足を得ることが出来る」ということなのだ。こうした個人自我を押さえ込める集団が存在することで、人口増大にも抑止がかかったし、自然の摂理の範囲内での循環型経済も可能となったのだ。
こうして人々にとって絶対不可欠な共認充足の基盤である共同体が保持されたことで武家政権は、金貸しの暴走を許さず、近世管理市場をつくりだすことに成功した。
写真は今回の参考書のひとつ渡辺京二「日本近世の起源」中世の惣村からどのようにしてパックストクガワーナ(徳川の安泰)がつくりだされたのかを藤木久志、笠松宏至らの研究をもとに考察。戦後左翼的歴史観の誤りを糺すその論考は本物。
●共同体企業の台頭が管理市場を可能にする
世界経済が大衆的レベルでの私権追求という原動力を失い、一部の金貸しの暴走によるバブル経済にあえいでいる状況下において、江戸の管理市場が注目を集めつつある。勿論、江戸の管理市場にも問題があった。参勤交替は外様や大阪に対して江戸に有利になるシステムであり、江戸幕府が非力であった初期は有効であったが、後期には、地方に抑圧的に働き、薩長土肥といった雄藩の集団自我の肥大を招いてしまう。この雄藩の集団自我が米英の策略に嵌ったことで、江戸システムは一気に崩壊してしまった。
このことから各集団が活力を持ちかつ安定基盤を持ち続けることは、集団自我を抑制し、管理市場を運営する絶対条件であるということがわかる。しかし、年初のなんでや劇場で2010年代は私権体制の崩壊と共同体の躍進の時代である、という見通しが示されたようにhttp://blog.trend-review.net/blog/2010/02/001541.html 「集団自我の抑制」という基本要件は出揃いつつある。また国家レベルでも国家紙幣はタブーではなくなりつつある。問題は、この可能性を世界へ届けることが出来るかであるが、西洋においても時代状況はよい方向に進んでいる。世界レベルでの金貸し規制と、核抑止等の秩序収束の流れだ。勿論、軍産複合体の反撃、欧州貴族の選民意識等、世界レベルの管理市場構築には壁が高く存在することも確かだ。しかし、時代潮流流れは確実に「管理市場構築」へと傾いている。縄文ブログの会員のみなさんの協力を得ながら、江戸システムの可能性を普遍性へと高めていく努力をこれからも続けていきたいと思う。
なんとかこのシリーズをまとめることができたのも「なんでや劇場」でより大局的な視点を得ることが出来るから。みなさんも是非、「なんでや劇場」への参加をお薦めします。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=600&c=200
投稿者 staff : 2010年05月15日 TweetList
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コメント
投稿者 さーね : 2010年8月19日 19:16
>どこか権威主義的・時には他者の意見を否定してでも自分の説を際立たせようといった手法まで垣間見られる。
たしかにこの記事の引用文をみてもそんな感じは受けますね。
考古学会の権威である水野氏と、それを批判する佐々木氏のそれぞれのプロフィールがどんなんだったか?興味がありますね。
投稿者 匿名 : 2010年8月19日 19:19
遺構の調査を元に、当時の人々の暮らしや集団の様子を想像する上で、こう在るべき、と言う思いが学者説には強いように感じます。
その根底には、個人や家族の起源をどこまで古く遡れるか、という現代から過去を見た視点に捉われているように感じます。
投稿者 sinkawa : 2010年8月19日 19:20
祭祀を切り口にしているあたりは良いなと思っていたのですが…やはり、「家族」と捉えるあたりが限界なのでしょうか。祭祀は集団みなのものであったはずですが、それが「分掌」されるというあたりに、違和感を感じました。