| メイン |

2007年03月24日

文字の発明から英雄伝説へ・・・・その目的は?

文字が発達し文書として残されるようになり、更に進化(?)して「物語」というものが作られるようになりますが、その中でも古代の物語で代表的なものが叙事詩と呼ばれるものですね。内容は英雄伝説的なものが多いようです。
メソポタミアでいうと、想像上のウルク王、ギルガメシュについて書かれた「ギルガメシュ叙事詩」が有名です。
今日はその内容を見ながら、この時代以降に多く出てくる叙事詩がどのような目的で書かれるようになったのかを考えてみたいと思います。
いつものように、まずは応援よろしく!
Blog Rankingにほんブログ村 歴史ブログへ

 にほんブログ村 歴史ブログへ


ギルガメシュ叙事詩は、元々シュメール時代から各地に伝承で伝わっていたものを系統的にまとめ上げ、一つの叙事詩として完成させたもののようで、少なくとも4つの伝説を繋ぎ合わせているようです。
南風博物館から、その概要を見てみました。http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/babylon/babylon_cul.html
その内容は、
まず伝説のウルク王、ギルガメシュと半人獣のエンキドゥが出会い、二人が争いの後に友人になります。
次にこの二人が力を合わせて巨人を倒して神殿建設に適した杉の巨木を手に入れます。
さらにこの時の勇猛果敢なギルガメシュの姿に、女神であるイシュタルが恋するが、既婚者であるギルガメシュはこの女神の求愛に心を動かさず、 :roll: 逆に女神の行為を非難します。
その為逆切れした女神が怪物を地上に放った為、ギルガメシュはこれに対しまた市民を守る為に敢然と立ち向かい、友人エンキドゥとこの怪物をやっつけますが、この行為が更に神エンリルを怒らせてしまい、罰としてエンキドゥは不治の病を与えられ、やがては死に至ります。
友人の死を悲しんだギルガメシュが不死の秘薬を手に入れるために、その薬を持っているとされる人物を捜し求めて旅に出ます。
途中何度も障害にぶつかりながらも( )その都度そこの番人や妖精を熱意で説き伏せて先に進み、やっとたった一つ残っていた薬を手に入れたが、それまでの疲れで眠ってしまった隙に、巨大な蛇にその薬を飲まれてしまいます。こうして結局不死というものは神の永遠性と、脱皮を繰り返し何度も生まれ変わる蛇の再生にしかないことを悟る、といった物語です。
%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5.jpg
<写真は「南風博物館」より拝借しました>
~長年ギルガメシュの像と信じられていたが、現在ではどうもそれは怪しいようです。~
一貫して英雄ギルガメシュをたたえる内容の物語ですが、その内容とは、
 ■半人獣であるエンキドゥの力を認め友人として迎え入れる寛容な心
 ■杉の木を手に入れる場面や、女神が街に放った怪物から市民を守る為に闘う勇猛果敢な姿
 ■既婚者である身に対して女神が横恋慕する行為を非難する清廉潔白な態度
 ■不死の薬を求めて様々な障害を乗り越えて目的を達成しようとする友人に対する深い愛情・・・・
等ですが、これらは一体何を意味するのでしょうか。
時代は、メソポタミアにおいて初期王朝が現われた頃であり、一方で自然神が人格神に変わった頃でもあり、「人格神」の存在が他集団殺戮→王国建設の正当化に使われたと思われる頃です。この叙事詩の出てくるエンリルやイシュタルは正にその人格神の代表格ですね。
つまりこれらの人格神の存在とともに、英雄の存在自体が自分達の他集団皆殺しの行為を正当化する観念統合のために使われたとも考えられそうですね。
またこれを文字を使って物語として残すことで、広い地域にわたり後世にまでその正当性を残そうとしたり、ギルガメシュ叙事詩のテーマが「不死」であるというところも、なんとなく王国の永遠性を求めているような気がしますね。

投稿者 saah : 2007年03月24日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2007/03/161.html/trackback

コメント

>すなわち、自ら餓死、渇死を選ぶか、部族としては離散し、あるいは夜盗化して個としての生の継続をはかるほかはない。
合法的な夜族化が商人であり、市場なんでしょうね。
なぜ商人があれだけの賢い?知恵を生み出したか・・・・まさに生死をかけた決死行だったんですね。
西洋人は個として強く、東洋人は集団として強い。その違いの一番の要因は砂漠の乾燥地帯にあるようです。

投稿者 tano : 2007年4月7日 10:24

tanoさん、コメントありがとうございます。
1932年、サウジアラビアが建国され、国家が掠奪と部族闘争を厳重に禁ずるまで、ベドウィン達は「砂漠の海賊」と呼ばれるほどに恐れられていたそうです。
4月5日の記事中でリンクをはっている「中近東フィールド・ノート」では、次のように記されています。
>外国人に対しては極めて排他的で 本田勝一著「アラビア遊牧民」に詳しく述べられているように、功利的 自己本位である。
これらの部族の女性たちは特有のマスクで目鼻を隠しその上分厚い黒いヴェールをかぶっておりわれわれ外国人が近付くと砂や石を投げつけ一目散に逃げる。
このような性格は、長い間牧草を追って毎年数百キロ移動を繰り返し、部族同志の闘争が日常的に行われ略奪を警戒しながら、乏しい食料を求め歩いてきた習性から生まれたものであろう。<
砂漠の遊牧民がそうなったのは事実で、過酷な外圧はそれをより強固に保ち続けさせたと思いますが、そうなってしまった理由は、砂漠地帯の過酷な外圧だけなのでしょうか?

投稿者 kumana : 2007年4月9日 00:50

コメントしてください

*