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2008年10月17日
シュメール以降のメソポタミア宗教
こんにちわちわわです。
シュメール人の宗教がどう変遷していったか南風博物館http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/babylon/babylon_rel.html#assyria_assurさんよりまとめてみました。
叙事詩「エヌマ・エリシュ」 バビロニア人による、マルドゥークの創世神話である。
かつて宇宙が生まれる前は、この世は混沌とした液体で満たされており、果てしなく続く「根源の海」が広がっているだけだった。ここに、醜悪な姿をした怪獣ティアマトが住んでいたのである。最初の女性であるとされている。
ティアマトが産んだ子供たちの中に、神聖な光を宿す存在があった。それがマルドゥークである。彼は成長するにしたがい、混沌としたこの世を正し、秩序を作りあげるために、母であるティアマトに戦いを挑む決心をするのである。しかし、従う者はなかった。彼は独力で、強大な力を有する母に立ち向かっていった。
そして困難な闘いのすえに、彼はついに勝利をおさめたのである。マルドゥークは神として認められ、天界での至上権を保証した「天命の書」を手にする。その力を得たマルドゥークは混沌の液体からティアマトの死骸を取り出し、海を宇宙に変えたのである。
最初の人間は、ティアマトの血から生まれた。だが彼は人間たちの上に君臨することなく、それを守護する神々を作って彼らの自由にまかせた。そしてマルドゥークは最後の仕上げとして、月や星、太陽などの秩序ある動きを決め、天界にみずからの宮殿エ・シャラを建造した。地上にはエ・シャラにいたる門としてバビロンの神殿を作ったのである。
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■アッカド時代
セム系民族であるアッカド人がメソポタミアを制覇し、統治を開始するに及んで、シュメール人の伝統はしだいに同化・吸収され、かつて各個人にあったとされる細分化された宗教観は確実に体系化され、変化していった。
多くの神が忘れ去られていったのも、この時期であろう
大きな変化は、王権に関する神の存在にまず現れる。
シュメール時代の王たちは、みずからを神に「認められた者」として公言し、また神の寵愛を維持するために儀式には自分から参加し、供物をささげたり神聖なレンガを積むといった作業は王みずからが行ったりしたものだった。
それがアッカド時代になると、王はすなわち神であると考えられるようになったのである。それを実際に行い、統治に利用したのは、「四海の王」を自称したナラム・シンであった。
王みずからを神として崇拝するという手法は、復活したシュメール人王朝であるウル第三王朝にも引き継がれている。王シュルギは自分を月の神ナンナと同一化し、ナンナの名前のひとつとして自分の名を残すことに成功した。またシュ・シンは自分のために神殿を建立させている。
アッカド人の宗教はどういったものだったのかは、よくはわかっていない。おそらく、シュメール人の宗教から多くを取り入れたものだったのだろう。ただし、神の名前はシュメール人のものとは異なっている。
■アッシリア以降のふたりの神
山岳地帯で発展してきたアッシリア王国は、もともと独自の宗教をもっていた。時が満ちてメソポタミアの沃野に出てきた彼らは、先進的なシュメール・アッカドの宗教に触れ、その多くを自分たちの宗教として取り入れたのである。シュメール人による神話のテキストは大事に書き写され、公文書として扱われたし、また近隣諸国にも広まっていった。
それに変化が起こったのは、アッシリアがバビロニアを制覇し、バビロンに勢力を伸ばした時期だった。シュメール人の宗教は過去のものとなり、新しい宗教とアッシリアの伝統宗教が融合したものへと昇華していったのである。それは、ふたりの最高神を抜きにしては語ることはできないだろう。
●アッシリアの国家神アッシュール
アッシリアのルーツである都市アッシュールの市神だった。その当時はシュメール人のものと同じく、都市を守護する神として、歴代国王の帰依を受け、神殿に祀られて崇拝されていたと考えられる。またさらに同じく、王家の始祖とされ、また王の名ともされていた。風の神だったといわれている。
しかしアッシリアが国家としてどんどん大きくなっていくにつれて、もとは市神であったアッシュールの役割も変わっていかざるを得なかった。彼は新興国家アッシリアの象徴として最高神の位にまで上りつめるのである。ただ、もうその時点で、風の神としての特性はほとんど失われてしまっていた。
アッシリアがバビロンを手中にし、もともとそこにあったマルドゥーク信仰が民衆に浸透していくと、アッシュールは国家神としての地位こそ守り通したものの、忘れ去られた存在へと転落していく。そしてアッシリアの凋落とともに失われてしまった。
●バビロニアの英雄神マルドゥーク
バビロンの市神だったマルドゥークは、古バビロニアの覇権とともに各地へと信仰を広げていった。彼もまた天地創造の神話をもつ最高神のひとりであるが、若き兵士の姿をした神は人間の問題を理解し、ともに悩み、考えてくれる存在として位置づけられていた。もともとは戦士の神、軍神である。
王である彼は立派な王宮をもち、有能な大臣たち、後継者である婿のナブ、そして床屋やビール番、犬まで眷属とし、50もの名前で登場する人気者である。彼はシュメールの神が有していた役割をほとんどひとりで負うことになり、多神教であったメソポタミアの宗教を、しだいに一神教へと塗り替えていったのである。似かよった役割をもったシュメールの神エンキの像は、瞬く間にマルドゥークの像へと置き換えられていった。
バビロンは数度の侵攻を受けて灰燼に帰し、マルドゥークの像も幾度か他民族によって略奪されたりしたが、その信仰は消えることなく、古バビロニアからアッシリア、新バビロニアへと覇権が移っても、ずっとバビロンの神であり続けることができた。宗教自体はバビロンの滅亡とともに消え去ったが、思想はその後に現れたゾロアスター教に受け継がれて、多くの王たちの帰依を集めたのである。
投稿者 tiwawa : 2008年10月17日 TweetList
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コメント
投稿者 案山子 : 2008年11月18日 21:05
とてもおもしろいですね。 オシャレだったんですね?!
投稿者 もなちん : 2010年6月4日 18:56
あ~以外w
勉強になりました。学校の宿題の参考にさせていただきます。
投稿者 ヴァル : 2012年4月16日 23:08
そう言えば1年半前にもこの写真で投稿がありました。
懐かしい方もいるのでまた紹介しておきますね。
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/01/000100.html