2008年10月28日
2008年10月28日
「磐井の乱」新羅に乗せられたヤマトの反乱
6世紀、北九州で起こった「磐井の乱」を日本書記から素直に読み解くと、
ヤマト王権(継体)VS筑紫国(磐井)
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百済 VS 新羅
という図式が浮かんできます。
しかし、
①当時、ヤマトによる北九州支配はどこまで行なわれていたのか。
(支配関係か、並列関係か)
②継体天皇(とふたりの皇子≒一族)の滅亡と磐井の乱終焉の因果関係は?
③新羅の南加羅支配と磐井の乱の因果関係は?
といった、疑問は残ります。(書記には言及されていない)
最近では、磐井の乱はなかった、とする新説まで登場しています。
「おそらく事実は逆で、大和王朝が新羅と組んで倭国筑紫王朝の壊滅を謀ったものである。」
という記事をみつけたので紹介します。
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