2008年10月15日
2008年10月15日
メソポタミアはどのように統合されていたの?~中央集権の始まり~
こんばんは~
メソポタミアの人々がどのように生活していたのか?
神の位置づけと統治の方法はどんな関係があるのかに続いて、王の統治の様子を見て いきたいと思います。
福岡教育大学城山西洋史 1998年卒業論文 小林のぞみさん「古代メソポタミアの社会」から、引用、要約させてもらいます
まずは、大きな時代の動きを押さえましょう 😀
ウバイト期 灌漑という新しい生産技術の成功
(前5000~3500年)
ウルク期 都市文明が開花
(前3500~3100年) 神殿を中核とする組織として都市国家が誕生
王権の成立
初期王朝時代 都市国家が覇権や領土問題で激しく争う
(前2900~2371年)
前2371~2347年 ウンマ市国王ルーガルザッグゲジによりシュメール地方統一
古アッカド時代 サルゴン王がアッカドとシュメールを統合
(前2371~2230年)
グティ時代 メソポタミア東北方から侵入したグディ人による支配
(前2230~2120年) 前期は混乱→ウルクとラガシュに独立政権が誕生
ウル第三王朝 グディ人によるメソポタミア支配に留めを刺したウトゥ・ヘガル
(前2113~2007年) の下で将軍であったウル・ナンムがウルに都をおいて創設
★アムル人が両河地方の南と北に二つの独立王国を建設
北方のアッカドに、イシンを首都とするイシン王朝(前2017~1794年)
南方には、ラルサを首都とするラルサ王朝(前2025~1763年)
★バビロンのハンムラピのもとで、改めて武力統一される
続きは、応援のあとで
よろしくお願いします
ありがとうございます
投稿者 mituko : 2008年10月15日 Tweet