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2009年09月17日

ユダヤ教の前身であるイスラエルの宗教について

 こんばんは、カッピカピです。
 
 今日は、ユダヤ教の前身である、イスラエルの宗教について書いてみたいと思います。
 遊牧民であるイスラエルの民の宗教と、チグリス、ユーフラテスを代表とする大河流域に栄えた古代文明との最も大きな違いは、土地に結びつかないということだと思います。
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 四大文明は、いずれも肥沃な大地の上に営まれる農耕文化でした。カルチャーの語源が「耕す」であったことが、そのことを雄弁に物語っていると言えます。
 その場合、宗教は土地に結びつき、その神は豊饒と生産の神となります。そして、人間は自然を通して神と結びつきます。それが、次第に古代社会のように、土地の支配者と奴隷的農民という制度で維持されていきます。したがって、古代社会では、政治勢力と宗教は強く結びつくことになります。
 それに対して、遊牧民は土地に結びつきません。草を求めて荒地を移動します。宗教も、土地に結びついて聖所に安置される神ではなく、部族の歴史を通して、人間に結びつくようになります。その神も、豊饒と生産の神というよりも倫理的な性格の神となります。
 
 そして、イスラエルの宗教では、神(=ヤーウェ)に従うことは、むしろ政治権力に反抗することを意味します。その具体事例が、栄華の絶頂にあったダビデの不品行を責めたのは預言者ナタンであったことです。
 さらに決定的な事例は、「バビロン捕囚」の後、イスラエルの宗教が滅亡しなかったことです。もし、イスラエルの宗教が、政治勢力と結びついていたならば、古代ユダ王国が亡ぼされたのと同時に、イスラエルの宗教も滅亡という結果になるはずです。しかし、イスラエルの宗教は、この試練を乗り越えて、ユダヤ教として再生したのです。
 このようなことが可能だったのは、王国の制度にとらわれない預言者たちが居たからだ、と言うことが出来ると思います。
 
 
 荒地と太陽というきびしい外圧を受ける遊牧民には、その厳しい生活に耐えうるための厳格な「結集点」が必要になります。その「結集点」の行き着いた先が、一神教であり、メシア(=救世主)信仰ではないかと思います。

投稿者 hi-ro : 2009年09月17日 List  

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コメント

さすが欧米型、官僚の選出の仕方を見ても筋金入りですね。
民主主義を旗印にしながらも結局は庶民と官僚(国家権力)という格差を際立たせる事で、いわば力で国を運営しているという図式が浮かんできます。
うららさんが書いているようにアメリカの事例にある
>長期スパンで自国のことを真剣に考える、という態度は既に180年前に放棄され、官僚=エリートたちはひたすら個人自我の実現に埋没し続けてきた、ということではないでしょうか?
これが多かれ少なかれ官僚の正体ではないかと思います。
しかし、現代社会のように複雑化し、調整毎が後を絶たない時代に官僚のいない国がありうるのか?そこの疑問に戻るわけですが、複雑化させた事、調整の仕事を増やした事、それ自体が官僚たちの得意領域だった可能性すらあります。
いずれにしても官僚主導社会によってもらたされた弊害の対応策は、官僚自身の中からは生まれないことは明らかです。
かといって民主党のような方策が適切ではない事は英国の事例を見ても予測されます。官僚社会をどうするか、官僚が担っていた事を誰が担うのか?、脱官僚のキーマンは大衆自身かもしれません。

投稿者 tano : 2009年11月19日 02:45

tanoさん
生え抜きもダメ、総入れ替えもダメ、試験もダメ、公募・指名もダメ。じゃあ、どうすりゃいいの?で、立ちすくみ状態です。サッチャーさんの人事への介入は、さすがに鉄の女、痛いところをついてくるな~、と思いましたが、抜本的解決にはならなかったようです。
>複雑化させた事、調整の仕事を増やした事、それ自体が官僚たちの得意領域だった可能性すらあります。
ダメ=機能不全に陥ってしまった原因は、やはりここら当たりになるのでしょうか。少しでも全体=国のことを考えていれば、目先の対応方針ひとつについても、踏みとどまるべきところは踏みとどまる、という思考になるのでしょうが。

投稿者 うらら : 2009年11月19日 11:52

>官僚主導社会によってもらたされた弊害の対応策は、官僚自身の中からは生まれないことは明らかです。
納得です!
では政治主導なら機能するのか?
官僚は直ぐに新政権に擦り寄って主導権を奪ってしまうように思う。
官僚という存在(立場、特権)そのものが弊害の根源。
では、官僚以外の人が官僚のをやったらどうか?
副業or交代制か?

投稿者 Quetzalcoatl : 2009年11月19日 19:34

同級生に、学生時代からみんなの世話役を買って出たり、社会問題(公害)に一生懸命活動をしていた優秀な男が居た。その彼は、官僚になって日本を良くしたいと本気で考えてキャリヤ官僚になった。その当時、自分の事しか考えて居なかった私など頭の下がる思いでした。本当に彼などが官僚になって頑張ってもらえればと思っていた。
そんな彼も、省内の競争関係と志と違う事をやらされているうちにに、保身人間になっていた。
が、50歳で肩叩きにあって民間(擁護施設の理事)へ転出した後、彼は本来の姿に戻り、地域の人に感謝される仕事をしているようで、会う度に今の仕事に充足して喜んでいます。
今の官僚組織は、人間をスポイルする様です。

投稿者 ryou : 2009年11月19日 22:58

Quetzalcoatl さん
コメントありがとうございます。
>では、官僚以外の人が官僚のをやったらどうか?
この場合、選抜の仕方が一番の問題でしょうね。ブレア政権以降のイギリスや、アメリカでは大臣や大統領(政権政党)が公募したり、任命するというやり方です。これでは、利害の一致した者同士の単なる仲良しクラブに成り下がってしまいます。
>副業or交代制か?
これについては、るいネット等でも熱く議論されていますが、江戸時代の「参勤交代」のようなシステムをイメージするとわかりやすい。一筋の光明が見えてきます。
どうやってひとを選出するのか?これがカギのように思います。
本当にみんなが「このひとにこそ、国のことを担ってほしい」というひとにやってほしいですね。

投稿者 うらら : 2009年11月20日 11:17

ryou さん
コメントありがとうございます。
結局、一度そこに入ったら、そこにいるひとたちだけで回してしまう、外のことはお構いなしで、自集団だけが彼の世界のすべてになってしまう、そのこと=構造が「スポイル」の正体ではないでしょうか?
外の空気を吸うことも必要、他者(社会、他の集団)があって初めて自分乃至自分の集団は生かされている。そのようあ人間として当然の思いを取り戻すためにも、閉鎖集団内に止まらないしくみが必要に思います。
Quetzalcoatl さんがおっしゃる副業や交代制は、しくみを考える場合の可能性のひとつだと思います。

投稿者 うらら : 2009年11月20日 11:25

国家ごとの官僚制の特徴も、各国の文化的背景を考えながら読み解くと、「優秀な人材を集め、その人たちに活力をもって働いてもらうには?」という命題から制度(システム)が考えられているなー、と思います。
日本の官僚制で、長らく疑問だったのは、『日本では採用時の一回の試験で、将来の昇進度が決まる。』の部分なのですが、これも日本において「優秀な人材を集め、その人たちに活力をもって働いてもらうには?」という命題を立てたら、そうなったというものなのでしょうか・・・疑問は尽きないですね。

投稿者 ないとう : 2009年11月21日 01:26

ないとうさん
コメントありがとうございます。
確かに、日本の官僚制って、優秀な人を集めさえしたら、あとはウマくいくんだ、という楽観論に貫かれていますね。言い換えれば、縄文人的「究極のノーテンキ」で日本の政治が支えられているということでしょうか?(ありうる)
これって、東大にさえ入ればあとは何とかなる(何とでもなる)というのと似てますね。
官僚といえども元は普通のニンゲン。「その人たちに活力をもって働いてもらうには?」という視点でのしくみづくりは、欠かせませんね。

投稿者 うらら : 2009年11月21日 16:41

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