2009年9月5日
2009年09月05日
カルタゴの繁栄と滅亡~フェニキア滅亡後なぜカルタゴは発展できたのか。そしてカルタゴが滅びた原因は?
(カルタゴ)
地中海の交易を制したフェニキア人は、その後大国に呑みこまれ滅びてしまいます。
しかしその後、もともとフェニキアの一植民市であったカルタゴが、母国フェニキアに代わって繁栄してゆきます。そしてそのカルタゴもついにはローマによって滅んでゆく・・・・。
ここで気になるのは、
・フェニキアの後、カルタゴが発展したのはなぜか?
・カルタゴが滅びた(ローマに負けた)のはなぜか?
上記を考える上でフェニキア及びカルタゴについて状況をまとめると、
○フェニキアの歴史は常に大国の属国の歴史だった。
(→しかしそれを逆手にとって、複数の大国を交易の顧客とし発展した)
○カルタゴはフェニキアの一植民市だった
母市とは交易や祭りを通じてつながりを保ったが、政治的には完全に独立。
(「地球人の歴史」より)
○フェニキアの東地中海域は、ギリシャ、エジプト、小アジア・シリアの中央に位置し、交易圏をめぐる熾烈な覇権争いの海域。
一方カルタゴは宗主国やギリシャなどの勢力・影響の及ばない西地中海域(シシリア島以西)で交易を独占、「地中海の女王」と呼ばれるほどに発展できた。
というようなことがいえます。
○“商人”の強み?弱点?
“特定場所”=共同体(国家)に縛られないこと。
国家も場所も、そして、人々も、彼らにとっては貨幣的富を極大化するための単なる手段でしかない。
(「『カルタゴ』支配層は『カルタゴ』を捨てた代わりに今や『世界』を手に入れようとしている」)
★したがって母市であるフェニキアが滅んでも、植民市のカルタゴが発展することが可能
★一方で国家の統合には興味を示さない利己主義、功利主義、経済至上主義ともいえる
★これらが、元老院による貴族支配から共和制となっても、「名より実を取る」に徹することで、裏でしぶとく生き残ってきた事にもつながるのではないだろうか。
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投稿者 saah : 2009年09月05日 Tweet