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2008年06月11日

シュメール人ってどんな人たち?

メソポタミアを調べていると、いつも出てくるシュメール人
彼らが一体どういった人々なのか?
彼らについて、分かっている限りの情報を集めてみました
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○シュメールとは?
 まず「シュメール」というは、アッカド人により用いられた呼び名で、自分達は「キエンギ」と呼んでいたらしい。シュメール語では「葦の土地の主」という意味。
 今で言うと、日本人とジャパニーズといった違いのようなもの。
 また、アッカド人というのはセム系の民族で、今のアラブ人やユダヤ人につながっていく人々。シュメール人はそれとは別系統だったと考えられている。
 風貌は、目が大きく 、色は黒。髪も黒く、男性は髭を伸ばしていたとのこと。
○都市は?
 シュメール人はさまざまな都市国家に居住し、それぞれジッグラトと呼ばれる丘の上に神殿を建てて、その周囲に集住していた。
 主だった大きな都市は、エリドゥ、キシュ、ウルク、ウルなど。
 王たちは、軍隊や商業を支配し、都市を統治した。
○生活は?
 シュメール人は、大麦、ヒヨコマメ、ヒラマメ、雑穀、ナツメヤシ、タマネギ、ニンニク、レタス、ニラ、辛子を栽培し、牛、羊、山羊、豚を飼育した。
 また、主要な役畜として雄牛を、主要な輸送用動物としてロバを使っていた。
 彼らは農業を行い、その農業は灌漑にかなり依存し、灌漑は、羽根つるべ、運河、水路、堤防、堰、貯蔵庫を使って行われた。政府は人々に運河で働くことを求めたが、富裕な者は免除されることができた。
○芸術
 シュメールの陶工は、陶器を杉油の油絵で飾り立てた。
 陶工は、陶器を焼くために必要な火を起こすために弓ドリルを用いた。
 石細工や宝石細工には、象牙・金・銀・方鉛鉱が使われた。
○政治
 シュメールでは、女性は他の文明よりも高い地位(神官等)を獲得していたが、政治は主として男性により支配されていた。
○交易
 舟やラクダ等を利用し、主にインドやアフリカ等と交易をしていたらしく、石材、銀、銅、木材を運んできた。
○医術
 白内障での水晶体の混濁部分を除去すれば直るということや、その手術方法も知っていた。
○軍事
 城壁で、シュメールの都市を防御した。
 シュメール人の軍隊は、ほとんどが歩兵で構成され、そのうち軽装歩兵は、戦斧、短剣、槍を運搬した。正規の歩兵は、さらに銅製の兜、フェルト製の外套、革製のキルトなどを着用した。
 さらに戦車を発明したが、彼らの初期の戦車は、後世の設計の物に比べて、戦闘時においてあまり有効に機能しなかった。搭乗員は戦斧や槍を運び、戦車はおもに輸送手段として使われたとされている。
○宗教
 シュメール人は、それまで人々の伝承でしかなかった「神話」を体系だてていった。
 主には、地母神であるナンム、愛の女神であるイナンナまたはイシュタル、風神であるエンリル、雷神であるマルドゥークなどを崇拝した。
 シュメール人が崇拝するディンギル(神々)は、それそれ異なる都市からの関連を持っており、神々の信仰的重要性は、関連する諸都市の政治的権力に伴って、しばしば増大したり減少したりした。
 また、宇宙はスズ製のドームに囲まれた平らな円盤から構成されると信じていた。
 さらにシュメール人にとっての「来世」は、悲惨な生活で永遠に過ごすためのひどい地獄へ落ちることだと信じられていた。
○技術
 シュメール人の技術には、のこぎり、革、のみ、ハンマー、留め金、刃、釘、留針、宝石の指輪、鍬、斧、ナイフ、槍、矢、剣、短剣、水袋、バッグ、馬具、ボート、甲冑、矢筒、さや、ブーツ、サンダル、もりなどがあった。
 また、建物は平らまたは凸の日干しれんがから成っていた。
○法律
 労働者、失業者を保護する法律などがある。
 裁判もあり、陪審員制度もあった。
○暦
 太陰暦を使用。世界最古の暦とされている。
○天文学
 日食、月食のタイミングを始め、様々な惑星の事細かな動きまで詳細に予想出来たとされ、さらに、2万5920年かかって地球の地軸が円を描くという歳差運動の周期すら知っていたとも言われる。
○数学
 60進法を用いていた。
○文字
 初めは象形文字を使っていたようだが、後に楔形文字を使用した。言葉としては膠着語と言われている。
以上が、シュメール文明の大雑把な概要です。
彼らについては、まだまだ謎だらけ。
分かっていることが少なすぎて、どうこからきて、どうやってこれの技術等を作り上げたのか?
追求すべきところは山済みです
この先もどんどん追及していきます

投稿者 jomon10 : 2008年06月11日 List  

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コメント

壮大すぎて、ついていけてないかも・・・(^^;
それを前提の、コメントです。お許しを。
渡来人にもいろいろあるんですね。
来た時代や、もともともっている部族の性質(海が得意とか武力ありとか)。。。
彼らはみな部族単位でやってきたのでしょうか?
命からがら大陸から脱出してきたのだったら、部族とかバラバラだったりしそうです。。。

投稿者 さぼてんの花 : 2008年7月18日 01:58

彼らはみな部族単位でやってきたのでしょうか?
命からがら大陸から脱出してきたのだったら、部族とかバラバラだったりしそうです。。。
この期間にさまざまな部族や小集団が中国や朝鮮半島から来ていることがわかります。部族を定義するとしたら文化や技術を共有している一単位となりますが、それだけでも10や20の部族は入ってきているでしょう。
日本列島への入り方はその部族の目的性の違いから大きく2つに分かれると思います。
①命からがらパターン~10人、20人と船に乗れる単位で上陸していると思います。その場合、日本に到着しても侵略部族とは
なりがたく、土着の縄文人と融合した可能性があります。
②もう一つは、明らかに侵略の目的をもって渡来してきている部族です。
スサノオや天孫族のように朝鮮半島で勢力をもっていた部族で戦乱で負けたか、逃げてきた部族の長ごと渡来した場合です。
こちらの方はある程度の連帯で来た可能性が高く、日本に上陸した後も武力を持って現地部族を威嚇し、すぐに自前で集落を形成した可能性があります。
前者が弥生第1波、後者が弥生第2波に当たると思います。

投稿者 tano : 2008年7月19日 15:53

このシナリオ大好きです。
日本史ファンはとかく権威のある学者さんを持ち出すのですが、フリーに身の回りにある証憑から展開をひろげればいいと思います。
もっと突っ込んでほしいのは『侵攻の動機』です。食糧難によるものか、宗主国からのノルマなのか、そこがあるともっと説得力が出てくると思います。第2作第3作を期待します。

投稿者 マリアカロリナ : 2008年7月29日 14:07

マリアカロリナさんコメントありがとうございます。
>日本史ファンはとかく権威のある学者さんを持ち出すのですが、フリーに身の回りにある証憑から展開をひろげればいいと思います。
まさに同意します。この縄文ー古代ブログも素人ばかりで運営しています。一部プロより詳しい人もいますが・・・。
まさに自分の実感に照らし合わせて「なんで?」「どうなっている?」を歴史に投影していく事がこのブログの主旨にもつながります。
>もっと突っ込んでほしいのは『侵攻の動機』です。食糧難によるものか、宗主国からのノルマなのか、そこがあるともっと説得力が出てくると思います。
侵略の動機は確かに突っ込んでいきたい内容ですね。
私は玉突きという動機が一番正しいのではないかと思います。つまり、侵略してきた人達は侵略を受けた人たちであるということではないかとの提案です。
これほど世界中に戦争が広がっていったのは玉突きで説明できるのではないでしょうか?最初に侵略をした部族が戦争の起源に当たると思います。
2作、3作をぜひ、期待下さい。

投稿者 tano : 2008年7月30日 00:13

奈良県の古ふんはいっぱいあったけど争いにはならなかったんですか????????????????

投稿者 a : 2013年5月1日 11:13

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