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2008年08月07日

古代オリエントの交易

こんにちわちわわです。
メソポタミアの交易の続編です。今回は国家の関りから、商人の誕生まで!
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シュメール人は都市国家から成り、中央集権的な権力や巨大な軍事力ではなく、周辺地域や民族との交易によって繁栄を勝ち得ました。そこには、シュメールが栄えれば同時に周辺の国々も栄えるという相互依存関係がありました。
凶暴なアッシリアが帝国を築くまでは、交易によって安定を保っていたと思われます。
シュメールからの交易品は農民から租税により大量に集積された小麦です。当初は王権主導で交易がなされていましたが、前2000年頃(ウル第三~古バビロニア時代)には、私的な交易商人が登場し、現代の市場社会の礎を築くことになります。
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国家官僚が築いた市場の基盤
先鋭化された軍事集団は徐々に都市国家の肥大をもたらし、周辺諸国とたびたび戦争を引き起こしていた。一方、力が拮抗していたり、遠方ゆえ出征のリスクが高い場合は、戦争回避のため交渉で決着をつけることも多かった。それは決して友好的な贈与関係ではなく、力関係によって条件を決めた交換関係であっただろう。
したがって、ウル第三王朝時代(~4000年前)まで、外交を担う官僚が遠隔地交易の中心的存在としてエラムやペルシャ湾のディルムン(バーレーン)などへ出かけていた。
国内における収奪と遠隔地交易で蓄積された富は、官僚による再分配システムを通じ、神官やエンシと呼ばれる地方の豪族たちへと渡り、古バビロニア時代(4000年前~)に私的な商業活動へと発展していった。
古代オリエント中期・交易商人階層の成立
古代オリエントの中期(紀元前2千年前後)には、商人・金融業者といえる社会階層が成立している。
ここにみるのは、いまや単なる御用商人ではなく、成熟した自立的な商人であり、すでに宮廷経済を凌駕する交易を行い、最古ともいえる交易所、交易組合、交易書式、海上保険など、交易制度の先駆けが見て取れるまでになっている。
オリエントで、ここまで交易が発展したのはなぜだろう?
遠隔地交易が、支配者の完全な独占のもとで、宮廷・神殿の官吏や特定の御用商人が担っていれば、関税や通行税はそもそもありえない。遠隔地交易が支配者の需要を超えてくると、さまざまな商人に交易と商品の通過を認めざるえなくなる。そこで、支配者は交易独占を根拠として、それらを許可し、保護する代償として、関税や通行税を取り立てるようになる。
そのことは、誰彼にもというわけではないが、交易がそれになりの商人に広く開かれたことを意味しよう。
古バビロンにおける所有権と売買
不動産に対する個人所有権は、古バビロン時代には、ほとんど完全に発達を遂げていた。土地も家屋も個人有の重要財産として、自由なる商取引の目的とされていた。従ってそれの売買もあれば、交換もあり、その契約証書は多量に、今日にも遺存している。

投稿者 tiwawa : 2008年08月07日 List  

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