2008年8月16日
2008年08月16日
インカの王位継承権争い=私権闘争?
ここ最近は、南米の古代文明の追求を続けてきています。
アメリカ古代文明を旧大陸の文明と比較して見ると、人類の文明の普遍的な部分とそうでないところが見えてきて大変おもしろい。
「国家による支配?」「交易か?贈与か?朝貢か?」「婚姻様式は?」という切り口で調べてきていますが、もう少ししたら踏み込んだ分析とまとめをしていく予定です。
今回は、インカの「王位継承権争い」について見ていきたいと思う。
最後のインカ王 13代インカ「アタワルパ」(ウィキペディアからお借りしました)
南米の広大な地域を支配していたインカ帝国は、1532年スペイン人ピサロがインカの王を騙して殺害してしまった事で、あえなく崩壊した。 圧倒的少数だったピサロ軍がインカ王を容易く捕らえる事ができた理由は、当時2代にわたるインカ王位継承権争いがあり、ピサロはこれを上手く利用したからだとされている。
当時のヨーロッパにおける王位継承権争いは、お家騒動のレベルから謀反やクーデター、内戦、戦争といった血生臭い歴史が数え切れない。私権闘争の頂上部分の闘争の凄まじさをものがたっている。
インカでも「王位継承権争い」という言葉で語られる歴史があるが、これはもちろん征服者であるスペイン人の末裔が、スペイン人から見た史実として記載した文書によるものでしかない。
はたしてスペイン人が記録したような王位継承権争いがあったのだろうか?少し調べてみると、実はこれが疑わしいのである。
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投稿者 nandeya : 2008年08月16日 Tweet