文字の誕生②~トークンから絵文字へ【前編】~ |
メイン
2008年08月06日
シュメールの余剰穀物、どこと交易してた?
ちわわさんの7月8日の記事で、シュメールが灌漑技術で手に入れた余剰穀物 によって発展した様子がわかりました 😀
この地域は降水量 は少ないのですが、 温暖 なため用水が確保されれば驚くほどの収量を上げることが出来たのです
このように、水をコントロールしたことで手に入れた大量の余剰穀物を手に、シュメール人は交易を始めます。
さて、その大量の余剰穀物、一体どこでどのようなものと交換されていたのでしょう
続きはいつものクリックの後で・・・・
元来シュメールには地下資源が瀝青しかない。肥沃な泥・水・太陽、それがすべてである。にも関わらず先に延べた「灌漑」という技術によって生活に多大な余剰=富を産み出した。彼らはその余剰食料を持って各地に散らばり壮大な交易を行ったのである。(史料11) ウガリト・ビブロスからはレバノン杉、タウロス山脈からは金、銅はオマーン半島やキプロスから、紅玉髄はインダスから、中でも当時アフガニスタン最北のバダクシャン渓谷の鉱脈からしか産出が確認できないラピス・ラズリも多量に交易されているのが発掘品などからわかる。ウル・アフガニスタン間は3000kmもあるのにだ。時に略奪により入手される事もあったらしいが、多くはメソポタミア産の穀物・織物・装飾品などと正当に取り引きされた。交通手段は川や海上の場合は船、陸上の場合はロバが使用されていた。
シュメール「文明の曙」
<ラピス・ラズリ> <紅玉髄>
シュメールの穀物は、時には3000kmも離れた場所と交易され、木材 や宝石 など様々なものと取引される壮大な交易ネットワークだったことがわかりますね。
中でも乾燥地帯であるシュメールにとって木材は重要な輸入品でした
シュメール人が最古の都市文明を誕生させたユーフラテス川の下流域は、もともと森の少ない所である。ヤナギやポプラ、それにナツメヤシが存在した程度で、大きな森を探すには、ユーフラテス川の東のザクロス山中か、ユーフラテス川中・上流域か地中海沿岸のレバノン山脈やアマノス山脈、それにアナトリア高原の南部まで行かなければならない。(中略)
古代メソポタミアでは、神殿を建てるにも、交易の船を建造するにも、青銅器や土器を焼くにも、そして日常のパンを焼くにも木は必要だった。
メソポタミアの人々はこれらに使う木材を求めて遠くアラビア湾を船で航行し、オマーンのアフダル山脈や、インダス文明の発展したインドまで出かけていた。インダス文明の町ロタールからは、ビーズなどとともに木材もメソポタミアに輸出されていたのである。(中略)
現代から見れば大変だと思うが、当時はそれほどの苦労をしても、木材を手に入れる必要があったのである。
気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板
灌漑技術を手に入れ、自分達が消費する以上の穀物を作り、交易で欲しいものを手に入れる
シュメールは大量の余剰穀物を手に、これだけの発展を遂げたのですね~ 😀
投稿者 pingu : 2008年08月06日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2008/08/566.html/trackback
コメント
投稿者 nakmaura k : 2008年9月16日 12:29
地図を付けてくださっていたので、分かりやすかったです。
なるほど、北は山東半島から遼東半島への移動経路なんですね。海の民なら十分可能な感じですね。
これなら燕や扶余にまみえることなく、朝鮮半島に落ち延びれますし(^^)
投稿者 さ : 2008年9月16日 22:28
さ・・・さんこんばんは、
>地図を付けてくださっていたので、分かりやすかったです
引用元のサイトの方に感謝!です。
上の地図にもかいてありますが、呉の滅亡の際大量に移住したのは比較的近い山東半島→遼東半島・朝鮮のようで、日本に直接来たのは少数のようですね。
それが、日本の平民と支配層の分かれ目ってとこですね。
投稿者 Hiroshi : 2008年9月20日 02:41
縄文と古代文明を探求しよう! さま
>日本人の起源:“倭人”のルーツは中国大陸の呉・越
日本人のルーツは日本です。そして最初に人間がソウゾウされたところも日本です。
( 出口ワニ三郎 = 幼少より特別な霊能力を持ち、預言がよく当たったと言われる。出口ナオと共に京都府綾部で大本教を開き一時は大変な勢いであったが、政府の強硬な弾圧に遭う。ワニとかオニとか言うようにプレアデスに支配され行動していたが、途中でおかしいと気づいた。晩年は穏やかであったが、間違っていたために自分の霊によって脳を壊された=脳梗塞?と言っていたが、定かではない。1998年6月26日、27日の二日間、空海とワニ三郎と筆者で、あるお経を唱え、多量の線香と塩でMの意識体(ジゴクのオニ達)を消滅したと言われた。本人はやさしくユーモアのある人で、98年には霊として降りてきて、綾部弁でよく冗談を言っていた。■出口ナオ2005年10月30日追記
http://sora.ishikami.jp/jiten/index.php?id=20010621204059 )
の大元教のある綾部市にあります。
初代天皇は、宮崎生まれの両親はキタ出での、なにやらソウカの太作さんと類似?の
「ジンム=スサノオ(龍神)のイシキ保有者』などのチョウセン族が三々五々
九州などに上陸したと思われます。
この数は戦後の済州島などからの密航者にくらべ少ないと思われます。
人類の創造は、ストーンサークル、石室などでイシカミ、イシジン+シリウ(す)等の
良いイシキ保有者によって行われたらしい。
したがって倭人は元々日本人のようです。
倭の国は最初は四国の剣山(剣山は、いたずらな若者のイシカミで、射手座にいた頃には立山になったイシカミと共に、王女たちを追いかけていた。剣という嫌な名前をつけられているのが悲しいとも伝えられた。)の一帯にあって山台国(ヤマタイコク)で大国の主と火見娘(ヒミコさん)がいたがジンムに責め滅ばされた。 ・・・
アイヌも北海道でソウゾウされた日本人、その頃は寒冷化していたので寒冷地仕様の人種
、ちょっと白人に近い人種として ・・・