縄文人にとって病気は致命傷だった!! |
メイン
2007年04月19日
法典石碑を建てたハンムラビ王の状況に同化してみる。
メソポタミヤ社会を知る上で欠かせないのが「ハンムラビ法典」です。 (今回も南風博物館さんから引用させていただきます。) ハンムラビ法典は、野蛮な復讐の法として有名ですが、実際はそうではなく当時の社会を秩序化するために考え出された新しい政策だったようです。
ちょっと、ハンムラビ王の状況に同化してみてみましょう!!
注:写真が法典の原文とされている石碑です。高さは2.2m(実際見た人は「思ったより大きかった!」という人が多い)で頂部にレリーフ、下部は楔形文字がびっしりと彫られています。レリーフは当然、ハムラビ王(左側の立っている人)で、神様(右側の座っている人)から杖と輪を授かっています。
この先は↓↓を押してよんでくださいね。
>ハンムラビは25歳のときに、父シンムバリトの後継者としてバビロンの王になった。
しかし当時のバビロンは、北にアッシリア(国王シャムシ・アダド1世)、近在にマリ王国、当方にエシュヌンナ王国、南方にはラルサ(国王リム・シン)をかかえており、生まれたばかりの弱小な都市国家でしかなかった。そのため、彼の最初の事業は、彼の前任者たち同様、バビロンの政治的・宗教的基盤の強化であった。彼の最初の軍事行動は、即位から6年後の南方遠征である。
ここから25年間、ハンムラビ王は周辺諸国との軍事的圧迫に対して知恵を絞って戦線を勝ち抜き、メソポタミヤの広大な領土を平定するにいたる。
>アッカド王サルゴン以来の広大な領土を手中にするにいたったハンムラビは、宗教的・法的にこれを維持する必要に迫られた。彼はどの都市の守神に対しても敬意を払っており、バビロンの市神マルドゥークを押しつけたりはしなかった。またしっかりとした法整備を行うことで民心を獲得し、秩序を回復することに砕身したのである。
>これらはバビロンの古い慣習法を成文化したものであり、そのうちいくつかの条項には、ラガシュのウルカギナ、イシンのリピト・イシュタルらによる初期立法からの影響がみられる。 ハンムラビ法典は、法の執行、財産所有、貿易および商業、技能職の規定、農業と報酬、婚姻と家族、奴隷、暴行などに関する諸規則からなっている。一般に「目には目を、歯には歯を」で知られる復讐法は、ほんのわずかな数行だけである。
(南風博物館さん)
ここからハンムラビ王の意図を汲み取ると、
<状況は>
1.軍事力によって国家間の力関係は安定したが、民間には争いごとが絶えない。
2.バビロンの守護神信仰(マルドゥーク信仰)だけでは諸部族を統合できない。
<どうする?>
1.⇒慣例法や不文律を成文化する。
2.⇒さらに物質化(石碑化)する。
3.⇒法典は、正義の神シャマシュ神と王のレリーフをいただいて権威付けを行なう。
ハンムラビ王は、こうして、新しい統合様式である「法」を生み出しました。
そしてこの「法」という統合様式は現代にまで繋がっている事が驚きです。
by田村
投稿者 nandeya : 2007年04月19日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2007/04/190.html/trackback
コメント
投稿者 ロマーヌス : 2007年5月4日 00:21
神は一人でも「私こそが本当の神の代弁者である」とした伝道師がどうも諸悪の根源の様ですね。
そう言えば古代のメソポタミアでも結局、争いが始まると同時に「私こそが・・・」という王が各地に登場しました。
ロマーヌスさんが仰るように多神教だとそういう問題も起き難いようですね。日本に宗教戦争が起こりにくかったのもそういう背景があるのかもしれません。多神教の末裔の私達はクリスマスの7日後には日本の神を拝んでいる。それで全然違和感を感じないのですから。
投稿者 tano : 2007年5月5日 00:08
こんばんわ、ロマーヌスさん、tanoさん。
GW真っ最中にも関わらず、コメントありがとうございます^^
確かに、この3つの宗教は昔も今も変わらず、あちこちでドンパチやってますよね。
それにしても、自分と違う宗教の人達を攻撃(否定視)していても、いつまでたっても現実は変わらないことを、長い長い歴史が立証していると思うのですが・・・それでもなくならないですね(-_-)
あの憎しみの源はいったい何なんでしょう?
私には理解し難いのですが・・・
投稿者 ぴんぐ~ : 2007年5月5日 01:36
この3宗教って、結構性格も発展過程も違うけど、根っこは同じってのが面白~いですね。中の悪い兄弟ってとこ?
長男のユダヤ教さんは、家系を守るために自部族第一主義で、次男のキリスト教さんは、より有名になるために一歩ふみでて人類の博愛を唱え、3男のイスラム教さんは、アラブの現実に即した規範に近い体系を作ったように見えますね。
でも、現在世界的にキリスト教が圧倒的に世界中に広まってるのってなんでだろ~?ヨーロッパが世界中に殖民したから?
投稿者 Hiroshi : 2007年5月6日 23:20
こんばんは
十字軍やキリスト教の話は興味あるのですが、なかなか奥が深いですよね。
調べてみると、確かに預言者アブラハムの教えの系譜に連なる宗教という面では、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教も同系統の宗教ということになりますね。
神以外の者に跪かないといういう教えではユダヤ教もキリスト教も同じような考え方ですが、ユダヤ教は同じ民族しか認めなかったのに対し、キリスト教はその面ではやや開放的という面があると思います。
ローマ帝国にとっては国のために働かず(もしくは協力せず)に自分達のコミュニティーを最優先させる人々ということで、反感を持つ者も多く迫害を受けたようです。
3つの宗教ともに一神教で他の神を否定する考え方なので、どうしても紛争になりやすいですよね。
日本人の目からみると仲良くすればいいのにと思ってしまいますが・・。多神教はその点、宗教紛争になりにくいからいいなと思います。