| メイン |

2008年09月19日

貨幣の誕生

こんにちわちわわです。
古代オリエントの交易シリーズ。交易といえばやはり、お金 です。
交易が本格化し始めた紀元前3000年すでに物々交換に変わって銀や銅が用いられるようになりました。
当時は塊を量って重量で換算しており、しっかりした貨幣が登場するのは紀元前700年くらい先の話になります。
応援↓↓よろしく!
Blog Rankingにほんブログ村 歴史ブログへ

 にほんブログ村 歴史ブログへ


The Purple Chamber of World Historyさんより引用
http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history06.html
交易が活発になるにつれ、取引の方法もいろいろと工夫されてきた。
 交易の基本は物々交換である。しかし、交換の場に相手が望むものを用意しなくては取引が成立しない。そのため、互いが共通の価値をみとめたものを支払いに用いることが多くなった。これが貨幣である。
 互いが了解していれば石や貝殻でも貨幣になるが、穀物・家畜・布などの日用品を用いるケースが多かった。サラリー(給料)の語源がラテン語のサラリウム(塩の支給)であることからわかるように、も貨幣として重用されていた。
 やがて、金、銀、銅などの金属が貨幣として定着するようになった。希少性や見た目の美しさもさることながら、かさばらず、長持ちし、分割・結合・変形も自在なことなどが要因だろう。前3000年頃のメソポタミアですでに銀が流通していた記録がある。当時の金属貨幣は、塊や粒状のまま用いられ、取り引きの際に計量していた。
 同じ大きさと形にそろえた金属片、つまりコインが登場するのはかなり遅く、前7世紀のことである。小アジアに位置するリディア王国でつくられた金7対銀3の合金コインが最初だった。まもなく、フェニキアやギリシアの諸都市も金・銀・銅のコインを製造するようになった。
 コインは、便利だからという理由で自然発生したわけではなく、公権力が貨幣流通を支配するために生み出したものである。コインの表面にはライオン(リディア)、アテナ女神(アテネ)、馬(カルタゴ)、王の顔(ペルシア)などの図像が打刻されているが、これらは貨幣価値が権力によって保障されていることを示している。
 じっさい、コインの製造はひじょうにうまみのある国営事業だった。貴金属に不純物を混ぜ、素材そのものの価値を落とすことで、差額分をもうけることができるからである。貨幣の発行はやがて公権力に独占され、私鋳業者や偽造人との間で熾烈な闘いがくり広げられることになる。
 コインが登場して以来、貴金属の調達は権力者にとっての至上命題となった。交易や鉱山開発はもちろん、戦争による略奪、住民からの徴収、ときには墓の盗掘まで行うこともあった。20世紀前半にいたるまでの長い間、金銀の行方が多くの都市や国の興亡を左右することになったのである。

投稿者 tiwawa : 2008年09月19日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2008/09/597.html/trackback

コメント

こんばんわ~。
金子史郎さんの『レバノン杉のたどった道』と
いう本をむかし読んだのを思い出させていただきました。
レバノン杉はスギではなくマツ科と知ったとき、
まぎらわしい和名でイメージを狂わされて
かわいそうみたいでした。
丸木舟にもなって地中海交易に活躍したから、
日本の古代なら楠(クスノキ)に相当するでせうか?
大きな楠が神様になっている神社がありますものね~。
 

投稿者 高塚タツ : 2008年11月5日 21:29

高塚タツさん、コメントありがとうございます☆
レバノン杉ってマツ科だったんですか~(@。@)
記事を書いておきながらお恥ずかしいのですが、知りませんでした。
ちょっと調べてみると、楠も船の材料に使われたり、防虫に使われたりしているんですね。確かに日本だと楠に相当するかもしれないですね。

投稿者 ぴんぐ~ : 2008年11月11日 20:37

コメントしてください

*