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2012年06月02日

「次代の可能性をイスラムに学ぶ」~2.イスラムの政治と経済-(1)多様な政治体制

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嗚呼、この信仰生活さえあれば、あとはどうでもいい…
 
イスラム教の特徴は、その教えの中に、生活全般についてどうすべきかが書かれている点です。だから、信者にとってそこに書かれたように生活することが信仰のすべてです。それは先祖代々皆が認め、守ってきた行いであり、すべてが共認充足に通じています。
 
その原点にあるのが、コーラン(神の啓示)やハディース(教祖の言葉)です。その中に政治・経済から性に至るまで詳細に書かれています。だから、たとえば民法・商法などの近代法を制定しようとすると悉く抵触します。かといって問題はありません。信者はイスラームの教えから逸脱しようとしないからです。だから、基本的には新たな法や制度を制定する必要はないのです。新しい社会生活の必要に応じて、隙間を埋める法や制度が必要になるだけなのです。
 
近代的な国家や市場経済が生まれる以前から、彼らはイスラムの教えに従って国をつくり政治や経済を実践してきました。われわれがイスラムを理解しようとするとき、どうしても近代的な国家の概念や政治や経済のあり方から見ようとしてしまいます。しかし、イスラームにとってはそのような近代的な国家も政治も経済も、信仰生活をまっとうするための補完物でしかありません。
 
 
では、イスラム教によって統治されているイスラム国の政治について具体的に見ていきましょう。
 

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イスラム国家の主権者は国民ではなく神
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イスラム諸国会議機構の国々
コーランに明示されたイスラーム国家の特徴は、
(1) 神だけが真の主権者であり、他のすべては彼の下僕にすぎない。個人、階級、集団、国家構成員総体でさえも主権を主張することはできない。
(2) 神は真の立法者であり、絶対的立法権は彼にある。たとえ皆が賛成しても、独自の法律に頼ることも、神の制定した法を修正することもできない。
(3) イスラーム国家はすべての点で、神が制定した法に基づかねばならない 。政府は、神の法を施行するための政治的機構として存在するかぎりにおいて、国民の忠順を要求する資格がある。しかし神によって啓示された法律を無視すれば、その命令は拘束力を失う。
(参照:「イスラームの政治理論」)
  
 
イスラムは反民主主義
 
イスラームでは神に主権があるため、西欧民主主義とは正反対です。西欧的民主主義では、人民が主権・立法権を持ち、宗教的倫理に反する法を制定することが可能です。これは、人間の決議(判断)を至高のものとしているからです。一方、イスラームにはこのような考え方はありません。人間に主権があるという哲学を完全に廃棄し、神に主権があり人間は代理職(ヒラーファ)にあるということに基づいて政治体制を構築しています。(参照:「イスラームの政治理論」)
 
イスラム国家の行政の役割
 
イスラームの政治形態はいわば「神権政治」です。神権政治といっても、神格と神性を一般大衆に押しつけた西欧的神権政治とは違います。イスラームのそれは宗教的階級によって支配されず、身分の高いものも低いものも含めたムスリムの全共同体によって運営されています。国家は経典と使徒の慣行に基づいて運営され、行政部はムスリムの全体意志によって設置、廃止されます。神あるいはその使徒の明確な命令がすでに存在する場合は、ムスリムの誰も独自の判断を下すことができず、ムスリムの全体意志でも変更はできません。イスラム法に明らかな指図がみられない行政上の事柄や問題は、ムスリム間の意見の同意によって解決されます。(参照:「イスラームの政治理論」)
 
 
イスラムにとって国家とは何か?
 
イスラムにおいては、その教えを守るためにまずウンマ共同体)を形成し、ウンマが大きくなって、その運営に必要な機構として国家が形成されます。一方、西欧型の近代国家では、まず個人がいて、その社会契約に基づいて社会や共同体が形成され、その運営のために法律が作られます。両者は法・共同体・国家の位置づけが全く異なります。
 
コーランに導かれる国家の目的は、単に人々が互いに搾取し合うのを防いだり、彼らの自由を保護したり、国民を外国の侵入から守ったりすることばかりではありません。コーランの中で示された社会正義のための機構を展開させ、発展させることを目的としています。
  
 
イスラム国の政治体制はさまざま
イスラム国の政治体制(主なイスラーム諸国会議機構)
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(サイト「中東・イスラーム諸国の民主化」参照)
   
イスラム国では、イスラムの教えが侵されない限り、近代国家的な制度は取り入れられています。国家の成り立ちや、教えに対する厳格さに応じて、政治体制はさまざまです。絶対君主の王国もあれば、複数政党で構成された議会をもつ共和制(≒民主制)の国もあります。つまり、政治体制はどうでもいいのです。王国といえども憲法はクルアーンとスンナであるし、共和制といっても国民主権は語られず、憲法の冒頭は神への服従や正義です。
 
 
 多くのイスラームは、信仰生活さえあれば、政治体制にあまり関心がないのではないでしょうか。これは、日本古来の大衆意識にも通じるものがあります。日々の生活の中に共認充足があり、これが守られてさえいれば、“お上”が何をしようと大目にみるという意識と同じものを感じるのです。
 
  

 
 次回は、イスラームの経済を扱います。

投稿者 kumana : 2012年06月02日 List  

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