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2009年05月06日

ユダヤ人について~裕福なのはどっち~

こんばんは、カッピカピです。
 
 今回は、ユダヤ人教徒社会の事実上の二大勢力であるスファラディ系ユダヤ人アシュケナジー系ユダヤ人について書いてみたいと思います。
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<イスラエルの風景>
 この両者について書いてみようと思ったキッカケは、私の過去記事『近代以前のユダヤ人の行方を追え!』に対するHiroshiさんからのコメントでした。
以下に、その一部を引用します。

金貸しやって裕福になっていったスファラディに比べて、アシュケナジーは、貧乏で底辺にいて虐殺・ホロコーストされて仕方ないから移住して・・・・というユダヤ人の二面性をそれぞれ担ってる感じでしょうか?

 ここでは、
  スファラディ系ユダヤ人・・・裕福
  アシュケナジー系ユダヤ人・・貧乏
となっています。これが一般的な常識であるかどうかは置いといて、実は、サイトによっては、全く逆のことを言っているサイトもあります。例えば・・・・
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 たとえば、田中宇の国際ニュース解説の『分解するイスラエル:2種類のユダヤ人』では、
 

この街に住んでいる人々、特にこの街の北の方に広がる高級住宅街に住んでいる人々の多くは、イスラエル人の中でも「アシュケナジー」(Ashkenazi)と呼ばれる系統の人々だ。彼らはヨーロッパ方面から移民してきた人々で、イスラエル社会の中ではエリート層を占めている。
 彼らと対をなす系統として存在するのが、「スファラディ」(Sephardi)である。この人々は、中東・北アフリカというイスラム圏から、移住してきた。彼らは、主にブルーカラー層を形成しており、アシュケナジーに比べ、失業率も高い。2つの系統の人々は、社会的な階級という意味でも、対照的な存在だ。

と書いており、
  スファラディ系ユダヤ人・・・貧困層
  アシュケナジー系ユダヤ人・・富裕層
となっています。また、ユダヤのサイトとしておなじみの『ヘブライの館』でも

シオニズムによって建てられたイスラエルの指導者階級は、ロシア、ポーランドを中心とする東欧系ユダヤ人(アシュケナジーム)とその子孫である。これに対し中東と北アフリカのアラブ諸国から難民として流入してきたユダヤ人(スファラディム)は、イスラエル社会の底辺を形成する。建国直後は全員貧しかったため問題はなかったが、イスラエルが経済的成長を遂げると両者間のギャップは社会的差別となって表面化した。

  
と書いており、同じく
  スファラディ系ユダヤ人・・・貧困層
  アシュケナジー系ユダヤ人・・富裕層
としています。
 こうなると、
  スファラディ系ユダヤ人・・・貧困層
  アシュケナジー系ユダヤ人・・富裕層
が正しいのではないかと思えてきますが、果たして本当にそうなのでしょうか。
      *      *      *    
 「スファラディム」とは、ヘブライ語で「スペイン」の意味であることから、スファラディ系ユダヤ人とは、本来、イベリア半島のユダヤ人共同体のこと指します。
 スペインのユダヤ人と言えば、過去の私の記事『近代以前のユダヤ人の行方を追え!』でも書きましたが、キリスト教徒によるレコンキスタによって、地中海沿岸に散らされてしまった人達です。このユダヤ人の中には、オランダ→イギリスと覇権が移動するとともに、これらの覇権国に移住し、欧州各国政府の金庫番や知恵袋として活躍したユダヤ人もいます。
 したがって、一口にスファラディ系ユダヤ人といっても、地中海沿岸のイスラム文化圏で暮らしていった者もいれば、ヨーロッパ社会の厳しい弾圧と差別をくぐり抜け、金融業を発展させていったユダヤ人もいるということになります。
 そして、後者のユダヤ人は、弾圧や差別を避けるべく、キリスト教に近い生活を送りながら、ロスチャイルドに代表される国際金融資本家へと成り上がっていきます。おそらく、冒頭のHiroshiさんのコメントに書かれたスファラディ系ユダヤ人は、この人達のことを指していると思われます。一方、イスラム圏で暮らしていったユダヤ人達は、イスラム教政権からは弾圧されず、伝統的な律法・習慣を守りながら、暮らしていきました。
 また、アシュケナジーとは「ドイツ」という意味の古いヘブライ語で、ドイツや東欧に住むユダヤ人の子孫を指します。こちらも、キリスト教徒からの迫害を受け、東欧・ロシアへの移動を余儀なくされたユダヤ人です。アシュケナジー系ユダヤ人は、その逆境をバネに、世界のユダヤ人の中でも優れた文化を発展させ、イスラエル建国につながるシオニズム運動に大きく貢献しました。
 つまり、ユダヤ人を大きく二つに分類する場合、スファラディ系とアシュケナジー系といったように、出自で分けるのではなく、キリスト教徒からの激しい弾圧や迫害といった外圧を受けてきたかどうかが大きな軸になるのだと思います。
 そして、この外圧を耐え抜いたきたユダヤ人が、現在の富裕層を形成しており、この点は、イスラエルの支配階級のほとんどがアシュケナジー系ユダヤ人であること、一部のスファラディ系ユダヤ人の中から、ロスチャイルドに代表される国際金融資本家が生まれたことと合致します。

投稿者 hi-ro : 2009年05月06日 List  

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コメント

さーねさん、いいタイミングでいい投稿ありがとうございます。
弥生時代の戦争の件は私たちもさんざん調べたのですが、北九州と鳥取の青谷上寺地遺跡に数十体の殺戮された遺体が確認できる程度です。最も遺体は埋葬されないのでほとんどが風化して残らないとの事で、残っている骨から戦争跡を探っていくにはかなりの無理があるそうです。
というのも北九州に残っている殺戮遺体の骨は全て甕棺に入れられていましたし、青谷の残留遺骨はたまたま骨が解けない状態の土質の中に残っていた事によるのです。
骨だけから言えば、戦争はあったとも言えるし、なかったとも言えます。
おそらく弥生時代に戦争があったとされる根拠は魏志倭人伝の中の倭国乱れるの記述”のみ”ではないでしょうか?
戦争の跡を知る最も雄弁な証拠品は以下にもあります。
1.武器があったか?
2.防護品があったか?
3.防護施設の遺跡は方々にあったか?
この3つがそろっている必要があります。
そういう意味では弥生時代から古墳時代までどれかはありますが、3つがそろうことはありませんでした。
何より、日本列島に鉄刀や鏃の武器の跡が弥生時代に出ますが、ほとんどが使用された形跡が少なく、首長の墓の中に装飾品として埋葬されていました。
古墳時代後期から奈良時代、平安時代前期にも戦争の明確な形跡はありません。そういう意味では、武士の登場をまたなければ戦争と呼べるような争いはなかったのだと思います。あるいいは武士が必要になった盗賊が多く登場した社会状況に戦争の起こる必然状況があったのだと思います。

投稿者 tanoyan : 2009年6月15日 19:54

弥生時代争いのあとはどうなったんですか????

投稿者 みぃ☆ : 2012年4月29日 19:19

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